1351話 日本の英語教育 その2

 中学の英語で充分

 

 日本では、日常的に英語を使う必要がない。

 必要はないが、「英語がしゃべれれば、かっこいい!」というだけのことで英会話学校に入学金を払い込むから、いつまでたっても上達しない。しゃべる必要がないのだから、勉強をしないのは当然だ。それが日本だから、小学校のほかの科目の授業時間を削ってまでして英語を教える必要はない。日本語での「読む、書く、聞く、話す」教育にもっと力を入れた方がいい。基本的には、英語は中学で教えるだけで充分で、高校はその復習でいい。「国際社会で活躍する日本人を育てる」ために英語教育をするのなら、児童・生徒全員に徹底した英語教育をする必要はない。例えば、小中学校でコンピュータの授業をやるにしても、全員がプログラマーの能力をつけることなど目標にしていないだろう。体育の授業でサッカーをやっても、全生徒をプロのサッカー選手にすることなど考えていないはずだ。それなのに、なぜ英語教育だけが、「プロレベル」の目標を掲げるのか。

 日本人にとって、英語の必要度は個人差が大きい。一生英語には接することはないと思う0レベルから、英語で充分に仕事ができる100まで必要度はいろいろあるにもかかわらず、全児童を「目標100レベル」をめざして、小学校から授業をする必要はないのだ。無駄だし、ほかの授業を圧迫する害にもなる。

 日本では、英語教育など一切必要ないと思っているわけではない。

 中学生レベルの英語をバカにしている人は多いかもしれないが、中学レベルの英語をほぼマスターすれば、あとは語彙を増やすだけでかなり使える。高校では、その復習と補強だ。それでいい。それ以外の英語の勉強は、想定する必要度に応じて個々にやればいい。これは英語に限った話ではなく、40歳過ぎても、中学レベルの各教科で90点以上取れる大人はそうはいない。大卒者であっても、すべての教科で中学レベルの学力があれば、学力優秀者だ。

 大学入試の英語は、それぞれの大学が要求する英語力に応じて決めればいい。

 「中学高校の6年間英語を学んでも英語がしゃべれない」という人が多いが、それは英語の授業に出席はしても、たいした学んでいないからだ。中学英語の試験で80点以上とれる力があれば、下手は下手なりにしゃべることはできる。もちろん個人差はあるが。

 私の英語は、今もって「下手は下手なりの」会話であって、いっこうに進歩しない。英会話学校に通わないし、テレビやラジオの英語講座でも学ばないのだから当然だ。英語の勉強をしない理由は、95%は怠慢が理由なのだが、私が英語を使う現場を考えているからでもある。アジアでの会話は、カタコト英語で話していることが多い。私と同レベルかそれ以下という人と会話するには、アメリカ英語のしゃれた言い回しやいろいろな意味に取れる表現など必要ない。単純な構文で、わかりやすい単語を使った短い文章か、場合によっては単語を並べただけの会話の方が相手に通じやすい。 

インドネシアの安宿の中庭で、旅行者たちと雑談していた時に、ひとりが「きのうの祭り、おもしろかったよ」と、その祭りがどれだけ楽しかったかしゃべり始めると、別の旅行者が、「その祭りのことを知っていれば、行ったのになあ」と言った。

 おお、should have goneの仮定法過去完了じゃないか。これは高校レベルだったと思うが、覚えていた。覚えていたが、使ったことはない。私が設定したレベルでは必要のない表現なのだ。イギリスでインテリたちと討論したいと思っている人は、そのレベルの勉強をすればいい。海外旅行をするにしても、団体旅行しかしないという人なら、最低限の英語レベルはぐっと下がる。

 英語の発音を学びたいと思う人は、今ならインターネットでいくらでも学べる。ユーチューブなど動画サイトでも、タダで勉強する方法はいくらでもある。