2023-09-01から1ヶ月間の記事一覧

1971話 服が長持ちする理由 その3

それまでの10年ほどは、初秋になると日本を離れ、晩春になると日本に戻るという生活をしていたので、日本の冬を長らく体験していなかった。だから、日本定住を決めた冬は寒さが身に染みたのだが、哀しいかな手持ちの冬服を着るには太りすぎていた。そこで、…

1970話 服が長持ちする理由 その2

「私の20世紀の旅」などと言うと大げさな気がするが、2000年あたりまでは熱帯を旅していた。あのころの服はすぐ傷んだ。その理由は、安物の服だったからでもある。1990年代、バンコクのチャトゥチャックの週末市場で売っていたTシャツは、一番安いのは4枚10…

1969話 服が長持ちする理由 その1

服が長持ちするという実感がないだろうか。 「この服を買ったのはもう10年前か、いや20年を超えるか」などということに気がついたことはないだろうか。30代の人なら、高校生時代に買った服をまだ着ていることに気がつくかもしれない。 昔は、服が長持ちしな…

1968話 それぞれの人生

テレビ番組で、ある雑誌の編集室を映していた。編集者たちのなかに、その雑誌のアートディレクターがいて、画面に彼の名が出た。「もしや・・・」と思い、じっと顔を見ると、確かにそうだ。その名と顔に記憶がある。老いているが、間違いない。会ったのは、…

1967話 ふたたび、インドネシアの小鳥について

インドネシア・シンガポール・ドイツの合作映画「復讐は私にまかせて」を見た。 予告編はこれ。インドネシアが舞台だから、インドネシア映画という感じがする。この映画を見ていて「タランティーノの影響が強いな」と感じたのだが、ネット情報を見ると、私と…

1966話 ノコギリは、押すか引くか

川田順造の『もうひとつの日本への旅―モノとワザの原点を探る』(中央公論新社、2008)は、すでに発表した文章と重複する内容が少なくないので、知っていることも多いのだが、詳しく覚えているわけではないので、「ああ、そうだったか」と感心することもあっ…

1965話 私の1973年物語 その5(最終回)

私が買うことになった2泊分の宿付きインド行き航空券を売っていた旅行社の広告を、どこで手に入れたビラで見たのかおぼえていないし、そもそも旅行社の名も覚えていない。弱小零細企業なのだが、なんだか怪しい。というのは、赤羽あたりの木道アパートにあ…

1964話 私の1973年物語 その4

1973年の旅では、400ドル分を両替している。日本円が外国で自由に使える時代はまだ来ていないから、日本でアメリカドルに両替しておく必要があった。400ドルの内訳は、トラベラーズチェックが370ドル、現金が30ドルだ。平和相互銀行の「通貨交換計算書」を見…

1963話 私の1973年物語 その3

1970年代初めは政治と反体制運動の気風がまだ続いていて、新宿から中央線で吉祥寺あたりまでの喫茶店や小さな本屋に、さまざまなチラシやミニコミが置いてあった。チラシのなかに、オペア(フランス語 au pair)の広告があった。オペアは今風に言えば、ワー…

1962話 私の1973年物語 その2

その当時は何も意識していなかったが、振り返って事実を追っていくと、1970年以降の海外旅行史が少しわかる。海外旅行は1964年に自由化され、制度上は誰でも、目的が観光でも何であれ、年に1回海外旅行をする自由を得た。だが、実際は、旅行費用があまりに…

1961話 私の1973年物語 その1

最近、マスコミで「1973年」という語を目にし、耳にすることがしばしばあり、73年に何か大事件があったのだろうかと考えていて、気がついた。「この50年間」あるいは「この半世紀」という節目にちなんだ話題を探しているらしい。 1973年は、20歳から21歳にな…

1960話 山下惣一を読む 下

山下さんの怒りは、農作業を知らない都会人の勝手な発言に対するものだ。だから、「もういい。あいつらの食うものは作らない。オレは、オレの家族が食う分だけ作る」という結論に達した。 そういう結論を出すまでに、こんなこともあったというエピソードを紹…

1959話 山下惣一を読む 上

「農民作家」と呼ばれた山下惣一さんが亡くなった。まずは、「農民作家」と「 」をつけて書いた理由から話を始めよう。 百姓は誇りであると思っている人たちが集まり、「全国百姓座談会」というものを開催した。もちろん、山下さんも呼びかけ人のひとりだ。…

1958話 文章の臨場感について

フィンランドの生活記『フィンランドは今日も平常運転』(芹澤桂、大和書房、2022)を読んだいきさつは別の機会に書くことにして、ここでは別の話をする。この本を読んでいて、フィンランドの首都ヘルシンキで暮らす著者の日常生活を描いているのに、臨場感…

1957話 大阪という異郷 下

かつて「大阪と構想」というものがあった。いろいろ考えてみると、この「と」にふさわしい漢字は賭博の「賭」だろうという結論に達した。大阪を賭博場にして、寺銭を稼ごうというのが、大阪を指導する政党幹部の考えらしい。経済的に悪化しているから、バク…