1967話 ふたたび、インドネシアの小鳥について

 インドネシアシンガポール・ドイツの合作映画「復讐は私にまかせて」を見た。 予告編はこれ。インドネシアが舞台だから、インドネシア映画という感じがする。この映画を見ていて「タランティーノの影響が強いな」と感じたのだが、ネット情報を見ると、私と同じ印象を持った人がいるから、私の印象が的外れというわけでもなさそうだ。

 変な映画である。主人公は伝統的格闘技シラットの使い手である暴れ者。この男が今ふうの言い方をすればED、昔の言い方ならインポテンツ、勃起不全で、やはりシラットの使い手である女とのラブストーリーであり、アクション映画であり、けっして喜劇ではなく、全体として「変な」映画なのだ。

 映画が始まってすぐ、「ああ、オレの鳩が勃たない!」と叫ぶシーンがある。小鳥じゃなくて鳩だが、その意味はわかる。この語は、字幕では「鳥」として何度も登場する。EDに悩む男の恋愛ドラマなのだから、随所に「鳥」が出てくる。

インドネシア語の小鳥については、このコラムですでに書いている。アジア雑語林1910話参照。

 文章だけで知っている言葉が、映画の中で実際に使われているとある種の感動がある。例えば、ニューヨークで深夜ラジオを聞いていた時だった。音楽が終わると、レコード針の音だけが流れ、何があったのか、放送事故だなと思いつつ、ラジオはそのままにしていたら、しばらくして女性DJの声が聞こえて、「ごめん、いわゆる『自然が呼んでる』ってやつで・・・」と言った。”Nature calls me”が、「トイレに行きたい」とか「トイレに行く」という意味だということは英語のエッセイなどでとっくに知っていたが、ことわざや成句というのは、大昔に使っていた語や小さな世界でしか使わない語という場合もあるから、知識としては知っていても、実際に使うのは難しい。その知識だけの表現が、実際にラジオから聞こえてきたので、「よしよし」という気分だった。そういう話だ。

 復習のために、改めてインドネシア語の「鳥」burungについて調べていたら、私と同じような興味を持った人があるとわかった。「お〇ん〇んの話~語源に関する考察~」というコラムがあることがわかった。「MAYUTAの一語一会」というブログだ。

 インドネシア語や中国語の「鳥」は要注意というのは私のコラムと同じなのだが、それにベトナム語も加わるという。手元のベトナム語辞典はポケット版なので、隠語は出てこない。マレー語はインドネシア語と近いので、多分同じだろうとは思いつつ、マレー語辞典にあたると、やはり「鳥」に隠語があるとわかる。MAYUTA氏はタイ語もできるようだが、タイ語の「鳥」にこうした隠語があるという記述はない。やはり、タイ語は別なのだろうか。タイ語は中国語の影響を強く受けているから、中国語と同じように「鳥」に裏の意味があっても不思議ではないのに、なんだか変だ。

 おまけの話として、タイ語のバナナの話をしよう。タイ語が少し話せるようになった外国人が「バナナ」の洗礼を受ける。タイ人は、”rain”など、簡単な英語単語を口にして、それをタイ語ではどういうかというテストをよくやる。何度かそういう体験をしていると、テストではないことがわかる。みんなで、タイ語初心者の外国人を笑おうという娯楽だ。

 タイ人が言う。”banana”。「タイ語で何という?」というテストだ。このタイ語をローな字表記すればkluaiとなるが、「クルワイ」とは発音しない。教科書的発音ではクルワイなのだが、klと子音が重なると、L音が消えるという習慣がある。「バンコク」をタイ人は「クルンテープ」と呼ぶという記述が普通にあるが、ローマ字表記すればkrungthephとなることでわかるように、krと子音が重なるとr音は落ちて、話し言葉では「クンテープ」となる。「クルンテープ」というのは、ちゃんとしたタイ語を話していますというアナウンサーの発音だ。

 さて、バナナだ。kluaiの発音がkuaiとなると「クウイ」に近い音になる。すると、タイ人は、khuaiという語を想像して、外国人のタイ語を大笑いするというわけだ。Khuaiは男性器のことだ。だから、タイ語ができる人は、タイ人がいる前で「クワイ川」などとは言わない。変な顔をされるのがわかっているからだ。アメリカ映画「戦場にかける橋 The Bridge on The River Kwai」(1957)の影響で、日本でも「クワイ川」と呼ぶことが多いが、タイ語の発音は「クウェー」。要注意タイ語だ。

『復讐は私にまかせて」は、10月2日午前3時30分からWOWOWで放送予定。