1908話 言葉は実におもしろい。地道に勉強する気はないけれど・・・ その19

 

あいさつはむずかしい

 さまざまな言語であいさつのことばを覚えるのを無駄とは言わないが、あいさつはなかなかにむずかしいものだ。ガイドブックに載っている「簡単ひと口会話」と現実の会話の間には、深くて広い溝がある。

 例えば、中国語のあいさつ語は「你好」(ニーハオ)だと知っている日本人は少なくないだろうが、中国人が日常、学校や勤め先や近所の人たちと出会って、このあいさつ語を使っているわけではない。外国人観光客が「你好!」と声をかければ、「你好」と返してくれるかもしれないが、中国人が日常、友人知人たちと使っているあいさつ語ではない。

 タイ語の「サワディー」も、タイに行ったことがある人なら知っているあいさつ語だが、これも学校や会社や役所で級友や同僚が使っていることばではない。決まりきったあいさつは、あまり親しくはない人と交わす公式的な場で使われる。近所の人と家の近くで出会うと、「パイ・ナイ?」(どちらへ?)という言い方をよくする。これは日本でも同じで(南関東で同じ、と言った方がいいか)、親しい人たちの間では、「お出かけですか?」とか「あら、どちらへ?」などと声をかける。「おお!」とか「やあ」とか「どうも」と言った言葉は、関係性がわからない外国人には簡単に教えられない。

別れの言葉「さよなら」もむずかしい。英語で書いてあるタイ語の旅行者用会話帳を見ていたタイ人の友人は、「なによ、これ!」と声をあげた。

 Goodby・・・・laakorn

 「ラーコーン」は、映画やドラマで、死に逝く人が家族や友人たちに「さらばじゃ」と別れを告げるときに使う語なのだ。死の別れでなくても、家族や親友が遠い地に移住し、もう二度と会えないかもしれないたった別れの言葉なのだ。今、ものは試しと、グーグルで「タイ語 さよなら」と検索すると、ลาก่อน(ラーコーン)と出てくる。おいおい、である。日常的な「さよなら」なら、サワディーが普通だろうが、やはり、よそよそしさはある。親しくない人に言う「さよなら」ならサワディーでいいだろうが、親しければいろいろな別れの言葉がある。

 インドネシア語の「さよなら」は別のむずかしさがある。ひとつは、日常的に使う「さよなら」にあたる語がないのだ。ガイドブックなどに出ている「さよなら」は、インドネシアを去る人が「スラマット・ティンガル」と言い、空港で見送る人は「スラマット・ジャラン」という。そういう別れのことばだから、インドネシア人が日常的にいつも使っているあいさつ語ではない。

 韓国語でも、去る人にかける「さよなら」は、アンニョン・カセヨだが、去る人が残る人にかける「さよなら」はアンニョン・ケセヨとなる。ほかの言語でも、別れのことばがいくらでもあるから、あいさつはむずかしいのだ。

 スペインを旅していると、「チャオ」ということばをよく耳にする。イタリア語のciaoは、ハワイの「アロハ」のように、「こんにちは」であり、「さよなら」でもあるのだが、スペイン語のchaoは、「さよなら」の意味しかない。「こんにちは」は、hola(オーラ)だ。

 英語のあいさつなら簡単だというわけでもない。”It’s nice to meet you.”は、初めて会った人に最初に口にすることばではなく、ちょっとことば交わしてから言うあいさつ語ですよと、さっきNHKラジオの英語講座で言っていた。

 すでに何度か書いたように、あいさつのことばは、人間関係を頭に入れないとうまく使えない。暗記すれば、すぐに使えるというわけではないのだ。だから、あいさつの言葉は、簡単そうでじつはむずかしいのだ。