2092話 続・経年変化 その56

食べ物 1 スルメ

 子供の頃好きだったのに、今では嫌いになったという食べ物はない。ただ、食べる機会が減ったという食べ物はある。

 奈良県の山の中で暮らしていたころのご馳走は、クジラの竜田揚げとスルメの天ぷらだった。あの頃の日本では、肉と言えばクジラで、家庭でも給食でも竜田揚げにすることが多かった。時代の変化で、クジラを食べることはなくなった。20年ほど前に、スーパーでクジラ肉を見つけた。なんだか懐かしくなって、竜田揚げにしてみたがうまくなかった。少年時代の記憶を美化しているのか、それとも昔食べていたシロナガスクジラなど大型のクジラがうまかったが、今は小型のクジラに変わったからまずいのか、その理由はわからない。

 スルメは酒を水で割った液に漬けてふやかしてから細切りにして、天ぷらにした。スルメの次にご馳走だったのがサツマイモの天ぷらで、蒸かしイモはあまり好きではなかったが、天ぷらにすれば好きで、これは今も変わらない。我が家の天ぷらにはもう1種類あって、ニンジンとゴボウの天ぷらは今でもそれほど好きではないから、自分で作ることはない。スルメの天ぷらも懐かしくなって、また作ろうとしたのだが、スルメが手に入らない。昔はいくらでも売っていたスルメや干タラを、今はスーパーで見かけない。アマゾンならいくらでも売っているだろうと思って探したが、細切りに加工したものはいくらでもあるが、昔ながらの大きなスルメ1枚はなかなか見つからない。築地に行けば簡単に手に入るだろうが、昔はスルメは「探して買う」ような食品ではなかった。

 我が家に冷蔵庫がなかった時代、干物類をよく食べた。身欠きニシンもそのひとつで、いまでもスーパーで見かけるが、カチカチに干したものよりもソフトなものを多く見かける。ニシンは堅くても柔らかくても、煮るのは手間がかかる。その手間はいとわないのだが、煮ていると、家中臭気が満ちる。母が煮ていたころも、こんなに臭かったかなあともうほど匂う。だから生山椒を入れる。なければ、安い花椒を放り込む。

我が家に限らず、冷蔵庫冷凍庫の普及によって、日本人は乾物干物をあまり食べなくなったのではないか。豆類はもちろん、切り干し大根も高野豆腐も食べなくなった。いまでもよく食べるのは、乾燥ワカメやシイタケ、そしてキクラゲなどだ。

 母が料理をしていた時代は、煮干しをよく使っていたが、私は顆粒のだしの素を使うようになり、煮干しは買ったことがない。父は煮干しを入れたままにした味噌汁が好きだったが、私はあの匂いが好きではなかった。私の好みだけでなく、日本の家庭から煮干しは消えつつあると思う。ここ10年ほどか、煮干しを山ほど使うラーメン屋が現れたが、家庭では、もう昔のようには使わなくなったのではないか。

 韓国の料理風景を見ていて驚くのは、煮干しをよく使うことだ。ベタラン俳優キム・ヘスクが若手俳優に、「煮干しの頭とはらわたを取らないと苦くなるわよ」とバラエティ番組で言っていたのを聞いて、母も同じことを言って煮干しのダシの取り方を教えてくれたことを思い出した。韓国では、煮干しは佃煮のようにおかずにするほか、出汁をとる材料にもする。テレビ番組では、「ちゃんと作っています」と見せるために煮干しで出汁を取っているが、家庭では市販のだしの素を使っている方が多いのではないかと想像しているが、その実情はもちろん知らない。

 タイで、「魚の干物がうまい」と感じる理由は、今の日本の干物よりもはるかに強い塩分があるからだろうという気がする。プラー・トゥーというのは、アジほどの大きさのサバで、これがうまい。塩分が非常に強い湯でゆでて、生乾きにしたものだ。発酵しているから、市場でも屋台でも匂うが、それは旨い匂いだ。フライパンで焼いて、食べる。

 サワラの干物は、お粥屋以外ではめったに見かけない。例えて言えば、新巻シャケならぬ新巻サワラのようなもので、その塩分は強烈に強い。お粥屋の店主に、「これ、ちょうだい」というと、ウィンナーソーセージほどのさな切り身を油で焼く。箸を入れると、ほろりと身が崩れる。充分に発酵していて、風味が強い。粥にはぴったりだ。

 日本のスーパーでシャケに「甘塩」のラベルがあるとがっかりする。ごくたまに「昔ながらの辛塩」といった表示があると、ついつい買ってしまう。そして、「こういうシャケがうまいんだよな」と、焼いて潮を吹いたシャケに感動する。塩がうまいのではなく、塩を使った発酵食品がうまいのだ。

 このコラムを書いた翌日、近所のスーパーでスルメを発見した。1年ぶりだ。薄く、小さなスルメで、あわれ昔日の肉厚スルメではない。