粥と新巻鰆
一品料理ではないが、「あれ、なかなかうまかったな」と思う食べ物がある。
1990年代前半は、タイで音楽三昧の日々を過ごしていた。連日のごとく歌謡ショーやライブハウスを巡り、深夜まで音楽を浴びた。ショーが終わり、日付けが変わった路上に出ると、さしもの「渋滞都市バンコク」も深い夜には静まり返り、歩いている人はほとんどいない。音楽の興奮がまだ続いているから、いましばらくは家に帰る気がせず、しかも「何か、ちょっと食べたい」という腹具合のときは、粥がふさわしい。
「深夜の粥は背徳の味がする」
そう書いたのは開高健で、酒や女やバクチで遊んだ若旦那が、屋台のモツ粥をすする姿は、まっとうな生き方から落ちこぼれた者の自嘲である。
私は「背徳」と呼ぶほどの遊びとはほど遠いが、世間が認めるような仕事はせずに、毎夜タイの音楽にうつつを抜かしていた。「うつつ」は漢字では「現」と書く。現実から逃れ、夢の世界で遊んでいるということだ。
プロンチット通りとラチャダムリ通りの交差点近くに、かつて「ブルームーン」という木造3階建てのシーフードレストラン兼ライブハウスがあった。経営者は建築家で、自作の建造物だという話をのちに聞いた。ライブハウスといっても屋根があるだけのテラスのような場所だった。1990年代初めだと、近所に住人はほとんどいなかったから、深夜に轟音を出しても苦情は出ない地区だった。そんな夜のことだった。
12時過ぎまでジャズを聴き、友人と「じゃあ、また」と別れるには腹は満足していない。足は自然に北に向かい、プラトゥーナム方面をさまよったが、めぼしい店は当然すでに閉まっていて、「さあ、どうする」と迷っていたところに、リヤカーの粥屋を見つけた。道路脇にリヤカーを止め、歩道にパイプのテーブルとイスが置いてあり、客はいなかった。
タイの粥は2種あり、米粒の姿をしっかりとどめているのをカオ・トムという。糊状になるまで煮込んだものは、チョーク(広東語の粥チョックが元らしい)という。我々はカオ・トムとおかずを何品か注文したあと、小皿にのっている魚を見つけた。皮から鰆(サワラ)だとわかる。全体の色が変わってるから、新巻鮭ならぬ新巻鰆となって発酵しているのだろうと思った。
「これも」と注文すると、親父は魚を1センチほどの薄切りにして、フライパンで少しあぶった。
粥をサジでひと口すくい口に運び、右手の箸でその鰆の身を少しほぐして食べる。ホロッと崩れた身は強烈に塩辛いが、同時に発酵したうまみも伝わる。子供の頃に食べていた「口が曲がるほど塩辛い鮭」を思い出す。健康に悪いと言われる食べ物は、なぜこうもうまいんだろうか。
バンコクの中華街に行けば、粥屋でいつでもこの塩鰆は食べられるのだが、日が高いうちは粥の気分ではなく、粥と鰆の食事はあれ以来一度もしていない。ケーン(辛い汁)などのタイ料理はまっとうな飯なのだが、粥は物語の風味がする。