1273話 捨てるもの タイ音楽のカセットテープ その2

 カセットテープで出ていた音源は、一部はCD化されたが、地方の音楽や昔の音源はCD化されずに消えた。そして、CDそのものが時代遅れになった今、おそらく私の手元にあるカセットテープは貴重なものになっているかもしれない。いや、「貴重」というのはどうかな。「希少」であることは確かだが、雑多な音源を貴重だと思う人はタイにも多くいないと思う。

 あの当時、カセットテープは雑誌のようなもので、聞けば終わりだ。カセットテープは消耗品であって、きちんと保存するようなシロモノではなかった。自動車のダッシュボードで強烈な直射日光を浴びて蒸し焼きにされているテープも見たし、飯を食っている指で触ったテープも、雨とほこりにまみれたテープも見ている。タイにもコレクターはいるが、タイ人は「ていねいに、きちんと保存しておく」ということはあまり考えない。映画に関しても同様で、一部の映画はビデオ化され、のちにVCDになったが、初回制作分を売り切ったら、廃盤となった。タイ名作映画DVD大全集というようなものは多分ないし、バラでもDVDを買うことは難しい。そもそも、今はDVDショップがほとんどがないのだ。

 そういえば、1990年前後のころだが、昔のタイ映画を見たいと思った私はレンタルビデオ屋巡りをした。交渉してレンタル用ビデオを買っていたのだ。タイのビデオはPAL方式なので、日本では見ることができない。だから、PAL対応だが、日本のテレビでも見ることができるビデオデッキも買った。タイで買えば安いのだが、日本のテレビには対応しないので面倒なのだ。VCDは日本のDVDデッキで見ることができたが、画質がひどかった。

 タイの音楽ジャンルのなかでは、例外的にきちんと保存されているのがプレーン・ルーククルンだ。1950年代から60年代くらいの「古き良き時代の」アメリカ音楽風といってもわかりにくいだろうが、男なら美しい声で浪々と歌うクルーナー唱法であり、音楽学校の卒業生のような歌い方をする。アメリカで言えば、ビング・クロスビーとかパット・ブーン、アンディー・ウィリアムスのような歌だ。日本で言えば、岡本敦郎藤山一郎などがいて、女性歌手ならペギー葉山織井茂子などだ。そういう感じの音楽がタイにもあり、1960年代ころの都会の若者に好まれ、プレーン・ルーク・クルン(都会っ子の歌)と呼ばれる音楽ジャンルになった。そういう音源が、「メーマイ・プレーン・タイ」(あえて訳せば、母なるタイ音楽の木)のシリーズでCDが100枚くらいは発売されている。ロックとは距離をおいた都会の若きインテリたちが、この手の音楽を好んだ。

 タイでも、音楽はスマホで聞くという時代になり、CDはほとんど消えた。デジタル配信の時代になると、地方の泥臭い音楽は仲間外れにされた。若者が喜ぶポップ音楽以外はなかなか聞けなくなった。

 タイに行っても、もうCDの買い出しはできないのだ。ウチのカセットテープも、いずれ燃えるゴミになる。

 

 そういえば、タイ音楽に限らず、我が家に山とある写真(スライド)もいずれ燃えるゴミになる。デジタル化のノウハウは天下のクラマエ師がブログで説明しているが、私の写真はそんな費用と手間を費やすほどのシロモノではないと思うので、いずれ廃棄することになるだろう。

 というわけで、次回はカメラの話。