1274話 捨てるもの フィルム式カメラ

 職業として写真を撮る写真家とかライターでなくても、中高年ならフィルム時代のカメラをまだ持っているだろう。これも、もうゴミだ。

 私の場合、職業的に写真を撮る必要があるので、まったくの素人よりは撮影機材がそろっている。フィルム式カメラは、一眼レフが3台に交換レンズが6本、そしてでかいストロボが2台ある。ストロボは小さいものを使いたかったのだが、24ミリレンズに対応できるストロボは、カメラよりも大きなものを使わないといけない。24ミリレンズをあきらめて、小さなストロボを持ち歩くかどうか考えたが、24ミリレンズを優先した。コンパクトカメラがやはり3台ある。古いカメラでも中古屋に売ることはできるが、私のカメラは使い方が激しく、性能に問題はないが外側がボロボロだ。ライカならば、それでも値段がつくだろうが、オリンパスOM2ではだめだ。

 雑誌の取材など、カネをもらって取材する場合は、バッグにはいつもカメラが2台入っていた。私の取材は、あるテーマに限定したものではないので、24時間カメラを手離さない。いつでもどこにいても撮影できる用意をしていた。自費の取材なら、カメラは1台にしたが交換レンズは数本用意した。タイの芸能を取材していた時は、田舎の寺の境内で深夜に行われるコンサートも撮影した。できるだけ明るい望遠レンズが必要で、ISO400のフィルムを増感して手持ちで撮った。

 あるとき、「もう、重いカメラは持ち歩きたくない!」と思い、コンパクトカメラでどれだけ代用できるか試したことがある。生まれて初めてコンパクトカメラを使ってみてわかったのは、ファインダーで見た通りには撮影できないという事実だ。写真の勉強をしたことがない私は、そういう事実を知らなかった。例えば、画面いっぱいにラーメンを取ろうとすると、出来上がった写真は一部が欠けているのだ。丼の周りをスカスカに空けておかないと、「画面いっぱいラーマン」という写真にはならないのだ。それから、コンパクトカメラは電池がすぐなくなることもわかった。

 一眼レフとコンパクトカメラの両方で撮影した写真を旅行人編集部に送ると、「熱意の差が著しい」とクラマエ編集長に指摘された。その通りなのだ。コンパクトカメラは片手でチョコッと撮っている。一眼レフの時はシャッタースピードや絞りや画角を考えてピントを合わせ、何枚か撮影している。風景なら、雲の形を見たり、光の方向を考えたりしているのだが、コンパクトカメラでは、見事に何も考えていない。ただ、パチリ。それだけだ。そして、「写真も低きに流れる」というもので、デジタル時代に入った今では、「写真なんか、適当でいいよ」とより思うようになった。パソコンで加工などしない(できないのだが・・・)から、一発勝負が潔い。ネットの写真には、整形手術の失敗のような、醜悪写真が多い。街全体が赤かったり青かったりする写真は醜い。

 もともと、プロの写真家のような芸術写真を撮りたいと思ったことはないが、自分が撮った写真の説明ができるライターでありたいとは思う。ブログ用には、「なぜその写真を撮ったのか、これは何か」という理由を説明できる写真を撮りたいと思う。そうでなければ、そもそも写真など撮らない。

 もうフィルム式カメラを使うことはないだろうが、簡単には捨てられない。次回はデジタルカメラの話を。