2019-08-01から1ヶ月間の記事一覧
さあ、トイレの話だ その3 トイレ関連の本でもテレビの雑学番組でも、「ベルサイユ宮殿にはトイレはなかった」などという話題が何度も登場するが、「ちょっとは調べてものを言いなさい!」といつも思う。 そもそも当時のフランスにトイレはないんだから、ベ…
さあ、トイレの話だ その2 ラトビアのトイレに関する資料でもっとも詳しい日本語文献は、『ラトヴィアの蒼い風』(黒沢歩、新評論、2007)だろう。「選挙後のトイレ」という章で、なんと10ページにわたってラトビアのトイレ事情を詳細に書いている。すべて…
さあ、トイレの話だ その1 話はやはり、ソビエト時代のエストニア展から始まるのだが、かなり長くなりそうなので項を改めた。この話題のそもそもは、この展覧会場に作られたソビエト時代の住まいを見たのがきっかけだ。この再現住居のリアリズムはすばらし…
ソビエト時代のエストニア展から その4 バナナ ソビエト時代のエストニア展会場にあるいくつかあるモニターに、50代くらいの男がしゃべっているものがある。モニターの言語ボタンは、エストニア語、ラトビア語、英語、ロシア語とあり、そのすべてを本人がし…
ソビエト時代のエストニア展から その3 玄関 この写真を撮ったときにはまだ気がついていなかった。日本人には変ではないからだ。 室内履き用に、オレンジ色のビーチサンダルが置いてある。 エストニアのタリンに着いて、宿探しを始めた。スマホを持っていな…
ソビエト時代のエストニア展から その2 KALI 「ソビエト時代のエストニア展」の会場前に、黄色いタンク車が止まっていた。展示場唯一の職員は、このタンクの前で、何かの飲み物も売る販売員でもある。両方の仕事ができるほどヒマだということでもある。 こ…
ソビエト時代のエストニア展から その1 CMなど 1940年から1991年までの、ソビエト占領下のバルト三国の暮しはどんなものだったのかという興味はずっとある。占領時代にも、日本人である私は旅行をすることはできたのだから、その気になれば実際に見ることは…
日本 ■良さそうなホステルに行き、この先1週間ほど空室があるかどうか聞く。「ちょっと調べてみますね」とスタッフがパソコンに向かい調べていて、その間に話しかけてくる客がいて、電話がかかり、「いいですよ、急ぎませんから、そちらの用件を先に」と私が…
旅行者たち その2 ■メキシコ人 エストニア・タリン ときどき世間話をする宿のスタッフが、夜の10時ごろ「そろそろ帰るわ」と言ってリュックを片方の肩にかけた。朝8時前にはすでにウンターにいたのを見ているから、「長い労働時間だったね。今日は何時間の勤…
旅行者たち その1 ■アメリカ人 ポーランド・ワルシャワ ワルシャワの安宿で旅行者の世話をしている若い男がいて、しかし従業員というわけでもなさそうで、顔つきは東南アジア人なのだが、英語がうまい。しかし、フィリピン人風でもない。正体不明の若者と立…
ラトビアの元銀行員と人歌手 その3 リーガで出会った元銀行員と歌手の話は前回で終わるはずだったのだが、更新してすぐに赤いジュースの話を思い出した。数行の原稿なら付け足してもいいのだが、書きたいことがもう少しありそうなので、続編を書くことにする…
ラトビアの元銀行員と人歌手 その2 元銀行員が調べてくれた結果、きょうは鉄道博物館に行けないことがわかった。 「そろそろ行こうか」と、元銀行員。6月初めのそのころは、公園でじっとしていると少し寒かった。3人とも、東京なら冬の服装をしていたが、冷…
ラトビアの元銀行員と歌手 その1 リーガの地図を眺めていたら、ダウガバ川の西岸、国立図書館のすぐそばに鉄道博物館があることがわかった。1日をたっぷり使いたいから、朝7時に近所のコンビニでコーヒーを飲み、そのまま散歩することにした。リーガはダウ…
ポーランドの医者 ワルシャワの宿には何種類もの部屋があるのだが、予約なしで行った私が利用できたのは2段ベッド2台のドミトリーだった。ドミトリーなのに、シャワーとトイレが室内にあるというのがちょっと変わっている。下段の私と向かい上段の男以外毎…
フィンランド人旅行者 ワルシャワの宿の入口で、30ちょっと前の二人の男が自転車からバッグを次々にはずしていた。自転車旅行者だ。夕方の6時といっても、もちろんまだ「真昼間」(まっぴるま)の明るさだ。ふたりの楽しそうな顔を見たら、そのまま黙って通…