1302話 スケッチ バルト三国+ポーランド 21回

 ソビエト時代のエストニア展から その1 CMなど

 

 1940年から1991年までの、ソビエト占領下のバルト三国の暮しはどんなものだったのかという興味はずっとある。占領時代にも、日本人である私は旅行をすることはできたのだから、その気になれば実際に見ることはできた。しかし、社会主義国をほとんど旅していない。その気にならなかったからだ。社会主義国に行けば不愉快なことだらけで、官僚的発言などからすぐにケンカをしてしまいそうな予感がして、行く気がしなかったのだ。もう社会主義国ではなくなったから、安心して旅ができる。そこで、ソビエト時代の生活がどんなものだったか知りたくなったのだ。

 外国の鉄道駅には、日本と違って改札口というものはないことが多いので、プラットフォームの先が道路になっていることもある。線路が多くある路面電車の駅という感じというのが、エストニアのタリン駅だ。国の中央駅のはずだが、入口ドアなどというものはない。プラットフォームに屋根もない。路面電車の停留所と変わらないのだ。

 タリン駅探訪に出かけたら、線路のすぐ近くに何をやっているのかさっぱりわからない建物があり、入り口に近づくと、英語の表示も見えた。エストニア語の表示と同じデザインだから、その英語訳だろう。

EXHIBITION

BACK IN TIME

LIFE IN SOVIET ESTONIA

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 「ソビエト時代のエストニア展」か、おもしろそうだ。入場料9ユーロは、高齢者割引で5ユーロになった。

 会場に入ってすぐ左手にラーダがある。ロシア製の乗用車で、昔はロシア国内で売っているジグリの海外ブランド名だったが、いまはラーダに統一して販売しているという事情は今回調べるまで知らなかったが、ラーダという車種は、なぜか昔から知っている。会場のクルマは、四角いライトだから1980年から生産が始まった2015というタイプだ。

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 会場内にソビエト時代のアパートの室内が作ってあり、誰かの家に侵入したような感じだ。雑誌がいろいろあり、日本なら、「サンデー毎日」とか「週刊平凡」とか懐かしい雑誌が置いてあるのだろうが、私にはもちろんわからない。台所は近代的で、ラーダの時代を考えれば、1980年代、独立するちょっと前の住まいなのだろう。串焼き用のロースターがある台所というのが特徴か。

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 玄関の棚に、何かの液体を入れて運ぶ容器があったので、会場唯一の職員に「あれは何か」と聞くと、「さあて、ビールかワインを買いに行く容器でしょうかね。私が生まれる前のことなので、わかりません」と正直に答えた。アルバイト学生のような若い美人職員は知らない容器なのだ。30年以上前の時代の展覧会の入場者が中高年だから、会場スタッフが若くても構わないということだろう。

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 窓の外にニシンのような魚を干している光景にリアリティーがある。昔の食堂や商店も再現されているが、いつもこういう商品が置いてあったのか、それとも格好をつけただけか。エストニアでは昔の話を聞く機会がなかったが、ラトビアリトアニアでは、輸入品など高価なものを除けば、国内で生産できる食料品は、不足なく買うことができたという。この「不足なく」というのがどの程度のことかという問題がある。

 「ロシアと違って、いつも長蛇の列を作って買い物をしていたわけじゃないですよ」と、ラトビアであった初老の人が話していたが、時代や地域による違いもあるだろう。経済事情が悪化すれば、輸入品は減るし、政府高官など権力者の独占となる商品もあっただろう。現在の物質生活と比べれば、「昔は満足な品物はほとんどなかった」ともいえるが、詳しい事情は私にはまったくわからない。

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 写真といっしょに、当時の商店も再現している。

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 食堂は、日本で言えば、あらかじめ作った料理を出す大衆食堂なのだろう

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 そろばんが日本独自のものだと思ってはいけない。

 

 ソビエト時代のテレビCM集というのを長々とモニターで再生していた。こういう画像資料がありがたい。CMの映像を見ていると、西側世界と大した違いがなく、ソビエト占領下という感じがしないが、モーターボートのCMというのは、誰のためのCMなのかが気になった。いかにも「ソビエト占領下の社会主義国のテレビコマーシャル」という感じがしないのがいぶかしい。釈然としないので、モニター脇の英語解説文を読んでみる。「各企業や団体の年間予算の1%を広告費に使わなければいけないという決まりがあったために、視聴者を考えないつまらないCMが放送された」というようなことが書いてあった。モーターボートのCMも、そういう事情で作ったもののようだ。うん、おもしろい。英語の解説もあるのがありがたい。日本の何かの展示会で、このように英語の解説がついていることはまれだろうな。

 「当時話題のテレビドラマや映画」というモニターがあって、西側で作られたドラマが流れていた。西部劇など外国ドラマもある。知らない映像のなかに、見覚えのあるシーンがあった。「エマニエル夫人」だ。1974年のフランス映画。主演のシルビア・クリステルが当時の日本で話題になったのだが、エストニアでも、か。政治的には問題ないので上映されたのか、あるいはかなりカットされたのかということはわからない。

 

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 ビールなど飲料のCMが多かった。

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 1974年当時に生きていた人は、この映像をちょっと見ただけで、大きな籐の椅子が頭に浮かぶはずだ。