2022-11-01から1ヶ月間の記事一覧
私と同世代の人のほとんどは、物心ついたときの自宅のトイレは、汲み取り式だったと思う。「いや、水洗だったよ」という人は、都内中心部の近代的豪邸で育ったか、銀座のビルが自宅だったというようなごく一部の例外だろう。例え自宅が水洗トイレでも、学校…
電気も水道もない場所で過ごしたことは、日本では後で話す1例だけあるが、外国では何度も体験している。 例えば、1974年のバリ島では、電気があるのは中心地デンパサールとバリビーチホテルのような高級ホテルだけで、クタ地区もウブド地区でも、電気も水道…
ウチにテレビが来たことを、母が大喜びしたという記憶はないが、洗濯機については何度も「うれしかった」と言っていた。 「洗濯がつらい」といっても、冬の水が冷たいからだろうという程度にしか考えていなかった。もちろん、それだって大変な苦労なのだが、…
電球に次いで、我が家の電気製品となったのは、多分、父親の手製のラジオだったかもしれない。父は電気や機械の専門家で、それは仕事であると同時に趣味でもあり、材料を寄せ集めてラジオを組み立てたのだと思う。私はその世界に疎いのだが、当時はラジオの…
1952年生まれの私が見たこと知ったことのいくつかを書いてみたい。「あれは、懐かしいよなあ」といった思い出話をしたいのではない。「過去のある時代の記憶と記録」を書いておきたいと思う。私が子供だった頃、大人たちがしゃべったり書いたりしていたおか…
注文していた『おいしさを伝えるレシピの書き方Handbook』(レシピ校閲者の会、辰巳出版、2017)が届いた。レシピの書き方を学びたい読者はどれだけいるのか。主に女性雑誌の編集者やライターか、お料理の先生の助手がこの本の読者だとすると、マーケットが…
『文にあたる』に、「敷居が高い」という言い方に関して、こうある。 「敷居が高い」は本来、「不義理をしていて、その人の家には行きにくい」の意味だが。「高級さ・上品さにひるんで行きにくい」の意味で使う人がいる。そういう使い方をしている文章がある…
前回、文章にでてくるあるものが、見えるか見えないかという話を書いた。例えば小説の中で、主人公が小学生時代、母親とよく散歩した寺の境内から富士山を眺めたという描写があったとする。「地理的に、その寺からは、富士山は見えません」とか、「富士山を…
神保町の東京堂でおもしろそうな本を漁っていて、校正校閲に関するエッセイ集『文にあたる』(牟田都子、亜紀書房、2022)を見つけたので、すぐさま買った。東京堂は、出版業界人がよく利用する書店としても有名で、立花隆も愛用者だったらしい。だから、校…
韓国の言葉や食べ物などのエッセイを多く書いている八田靖史さんが、「もう『キンパ』はあきらめた」といった内容のエッセイを書いていた。出典は、失念。 韓国ののり巻きは日本から伝わったもので、昔は日本語そのままに「のりまき」と呼ばれていたが、のち…
「サハラ」は沙漠という意味だから、「サハラ砂漠」はおかしい。 「チゲ」は、韓国料理のひとり用鍋物のことだから「チゲ鍋」はおかしい。 モロッコの「タジン」は、円錐形のフタがついた土鍋のこと。あるいはその鍋を使った料理のことだから、「タジン鍋」…
阿川弘之の『空旅・船旅・汽車の旅』(中公文庫、2014。解説:関川夏央)の親本が出版されたのは1960年だから、1950年代の乗り物の話だ。 日本のドライブの話は、雑誌「日本」の企画で行なわれた、1958年の東北・北陸旅行を描いている。阿川夫妻に編集者とプ…
砂糖の資料はいろいろあるのだが、トウガラシの輸入や消費量などの日本語資料がなかなか見つからないのだが、根気よく探していたら、幸いにもこんな資料が見つかった。 「Wedge online」(2016年9月15日)に「中国産の流入で危機に瀕する韓国のトウガラシ産地…
タイ料理同様、「韓国料理は辛い」と言われるが、私には甘さが気になっている。砂糖、水あめ、オリゴ糖などをたっぷり入れた料理が苦手だ。 韓国の料理が昔から甘かったとは考えられない。サトウキビもテンサイも栽培できないからだ。歴史的に言えば、朝鮮の…
アジア経済研究所(以下、アジ研)が発行した「アジアをみる眼」の「くらし」シリーズは、雑多なことを知りたい私にとっては名作シリーズで愛読している。以前紹介したことがあるが、改めて紹介しておく。このシリーズは、アジ研発行の雑誌「アジ研ニュース…