2025-03-01から1ヶ月間の記事一覧

2222話 日本人の海外旅行史 7

1957 3 国際観光協会が日本への観光客誘致のためにホノルル観光宣伝事務所開設。国際観光協会海外事務所は、57年にトロント、60年にパリ、バンコク、61年にシカゴ、ロンドン、62年にシドニー、63年にダラス、フランクフルト、サンパウロ。バンコ…

2221話 日本人の海外旅行史 6

1955 2 日本航空、香港線運航開始。 5 エア・インディア、ボンベイ・羽田線運航開始。 海外移住希望者の増加に対処するために、外務省に移民局が新設された。 8 東京・飯倉片町に、日本最初のピザ店「ニコラス」開店。 9 日本ツーリストと近畿日本航空観…

2220話 日本人の海外旅行史 5 

1952 2 引揚援護庁が第二次大戦中の日本軍の戦死者数を発表。沖縄で8万6627人、フィリピンで47万人、ビルマで16万人など、合計123万9709人。 2 NHKが国際放送を再開し、北米・華北、華南、フィリピン、インドネシア、インドの5方向に…

2219話 日本人の海外旅行史 4 

1950 1 日本人の業務渡航許可権がGHQから外務省に移管。 5 フランス留学生制度が10年ぶりに復活し、6人の留学生が決まる。そのひとりが、遠藤周作。 7 日米教育委員会の第1回の留学生63人が復活。6人の留学生が決まる。 戦後初のコロンビア移民出発…

2218話 日本人の海外旅行史 3 

戦後日本の海外旅行関連年表(アジアを中心にして) *映画はおもに日本公開年 1945 9 財団法人東亜交通公社が、財団法人日本交通公社と改称。*東亜交通公社の前身は、1912年に外国人客誘致斡旋機関として設立された「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」で…

2217話 日本人の海外旅行史 2

海外旅行史年表 戦前編 戦前期までの旅行事情を解説した資料は多くあるが、年表にまとめたものはあまり多くないと思う。ここで紹介しているのは、簡易版で本格的にやるなら、この50倍以上になるだろうが、私は手を抜いた。この時代の旅行事情研究者は多く…

2216話 日本人の海外旅行史 1

「若い」といっても、大学院生から若き教授くらいまで幅が広いのだが、彼らが書いたバックバッカ―関連の論文をいくつも読んだ。どれも、だめだ。指導教授は何を考えているのだろうかと大いに疑問がある。 バックパッカー研究というのは、ゲストハウスに行っ…

2215話 小さな話題

■「世代」の話を終えたばかりなのに、気がついたことがある。前川少年が5歳から6歳の頃、チキンラーメンとコカコーラが発売された。どちらの商品も、発売当初のころを覚えている。今後も、「あれはそうだな」と思い出すことが多くあるだろうなあ。 ■日本復帰…

2214話 世代8 海外旅行 2

1960年代から70年代に世界を旅していた若者のリュックに日の丸がついていたという記憶がある。私はつけたことはないし、「日本人旅行者の半数ほどが・・・」というほど多くない。まったく根拠のない数字だが、私の印象ではせいぜい1割かそれ以下の旅行者が、…

2213話 世代7 海外旅行 1

スコットランドの古本屋奮闘記『ブックセラーズ・ダイアリー』はすこぶるおもしろかったのだが、その第2弾が発売されていると知った。『ブックセラーズ・ダイアリー2:スコットランドの古書店の日々ふたたび』。訳者も版元も変わって、さてどうだろうか。読…

2212話 世代6 大学生

先週金曜日。神保町散歩。古本屋のワゴンセールで『サバンナ農地林の社会生態誌』(藤岡悠一郎、昭和堂、2016)購入。定価6000円の学術書が1000円だったから買ったのだが、もちろん「おもしろそうだった」というのが購入の第一理由。つまらない本ならタダで…

2211話 世代5 蒸気機関車 マンガ

通常の乗り物として蒸気機関車に乗った記憶のある世代の最後が私の世代かなと思ったが、これも地域差が大きい。中学時代だったか、総武線を蒸気機関車が走っている光景が印象に残っていて、あれは思い違いだったのだろうかと調べてみれば、東京かた千葉県に…

2210話 世代4 木造校舎

私の昔話は、「時代の記憶」として、このアジア雑語林1826話以降、ある程度まとめて書いた。雑多なテーマでコラムを書いたが、私の世代が最初あるいは最後という視点で眺めると、学校の校舎のことが浮かんだ。木造校舎を体験したほぼ最後の世代になるのでは…

2209話 世代3 洗濯機

奈良の村で暮らしていた1950年代の生活を思い浮かべると、ときに涙が出そうになることがある。赤貧洗うがごとき生活をしていたわけではないが、母の苦労を思うと胸が詰まりそうになるのだ。 村に電気は来ていた。というより、その電源開発の建設作業のために…

2208話 世代2 電話

家にテレビがなかった時代、「そうだ。あれも、もしかして・・」と思いついたことがある。家に電話がなかったのだ。1950年代に自宅に電話があったのは、金持ちか仕事で必要な人たちだろう。 1941年生まれの倍賞千恵子は、1961年に松竹から映画デビューした。…