2214話 世代8 海外旅行 2

 1960年代から70年代に世界を旅していた若者のリュックに日の丸がついていたという記憶がある。私はつけたことはないし、「日本人旅行者の半数ほどが・・・」というほど多くない。まったく根拠のない数字だが、私の印象ではせいぜい1割かそれ以下の旅行者が、リュックに日の丸をつけて旅していたのではないか。その比率は、60年代は高く、しだいに減っていく。

 なぜ日本人旅行者がリュックに日の丸をつけたのか。「日本という国家を背負って・・・」というのは、まったくの間違いではないにしろ、だいぶずれている。留学ではなく、日本の若者が外国に出かけるのは、国際的なスポーツ大会、登山隊、調査隊、遠征隊、探検隊といったもので、必然的に「日の丸の下」という雰囲気になる。「外国に行く。すなわち探検隊」というイメージで、目的がはっきりした冒険旅行でなくても、「海外ひとり旅」という大事業に挑む決意がリュックの日の丸になったのではないか。

 「リュックに日の丸」を最後に見たのは、1975年夏、ベルギーだった。その日の朝早く、ヒッチハイクでパリを出たものの、目的地のアムステルダムに着くことはできず、ベルギーで車を降りた。その街にはユースホステルがあり、そこまで1本道だとわかっている。夕暮れ近い道を歩き出すと、前方にキスリングを背負った旅行者が見えた。そこに日の丸が見えた。その旅行者もユースホステルに行くのだろう。

 前を歩く旅行者の姿が消えてしばらくして、突然こちらに向かって歩いてくる。

 「こんにちは」とあいさつすると、

 「満室でした」という返事が返ってきた。

 「それじゃあ、ホテルを探しますか」

 街でホテルの看板を見ているので、そこに行って料金を聞くと、それぞれ半額負担なら支払える金額なので、宿泊を決めた。フロントで支払い、カギを受け取って2階のドアを開けて、ふたりとも息をのんだ。ダブルベッドだ。「あ~あっ」である。

 その街のユースホステルや周辺の地図情報も、その街に着いてすぐに見ていた。その当時、日本で手に入る実用価値のあるガイドブックは”International Youth Hostel Handbook”だけだった。一般書店では売っていないが、各地のユースホステル協会で買うことができた。欧米人には、1957年初版の“Europe on $10 a Day”(初版時は$5)が有名で、簡単に手に入ったが、どれほどの日本人旅行者が愛読したかとなると、かなり疑問がある。英語のガイドブックを使うかどうかという問題と、ヒッチハイクと仕事探しという旅をしている旅行者はあまり使わなかったのではないかと想像する。旅行情報は、おもに日本人間の口コミだ。旅行者はノートに情報をかき集めて、自分用のガイドブックを作っていた。ただし、鉄道ファンはThomas Cookの鉄道時刻表”European Timetable”を使っていただろう。これは、日本では丸善などで手に入った。

 ガイドブックのない旅が、1970年代末までの旅だ。つまり、「地球の歩き方」の前と後だ。例外的に1970年代のもっともすばらしいガイドブックが2冊あった。日本語の『アジアを歩く』(深井聰男、山と渓谷社、1974)であり、英語のガイドブックは1onely planetのガイドだ。“South-East Asia on a Shoestring”(1975)は、自費出版の後最初に出版したガイドで、私は香港の書店で見つけてすぐさま買った。ということは、日本では私はロンリー・プラネット第1世代になるのかもしれない。

 今はもう消えた旅の事柄といえば、イエローカードとかTC(トラベラーズ。チェック)などがあるが、私の世代が最後というわけではない。旅と世代の話題は、今後ふと思い出すことがあるかもしれないが、きょうのところは「これまで」としておこう。

 毎日送られてくる膨大なSPAMメール。そのひとつ、「国税庁から還付金のお知らせ」というのもよく来るから、機械的に除去してきたが、さっきアドレスを確認したら、末尾はcnだ。「中国から送っています」と、正体を現している。こういう犯罪は、監視社会の総統中国政府の目を逃れてできるんだ。