1671話 「旅行人編集長のーと」に触発されて、若者の旅行史を少し その19

 『ヨーロッパ鉄道の旅』をめぐるあれこれ 1

 

 このコラムは、蔵前さんの「旅行人編集長のーと」で紹介していた『ヨーロッパ鉄道の旅』(山本克彦、白陵社、1969)について、ちょっと書くだけの予定だったが、若き漫画家が日本を出た1972年当時の旅行事情なども書こうとしていて、どんどん長くなってしまった。連載19回目にして、やっとこの本に触れることができたが、まだ簡単に終われそうもない。

 『ヨーロッパ鉄道の旅』はガイドブックかと思ったが、入手して読んでみれば、横浜を出てからモスクワに着くまでは旅行体験記だ。ソビエトのビザや船と鉄道も料金も書いてない。「そういうことは旅行社できいてくれ、どっちみちソビエトのビザは個人では取れないのだし」という方針らしい。全体の3分の2にあたるヨーロッパ編は、トーマス・クックの時刻表がついた旅行記だから、街の説明も安宿情報もない。

 著者はトラベル・センター・オブ・ジャパンという旅行会社の社員で、トーマス・クック社、ソ連政府観光局、山下新日本トラベルサービスの協力を得て、この本ができたと「あとがき」にある。したがって、ソ連のことは政府観光局で調べてほしいということだろう。だから、ソビエトの不満苦情はこの本には一切出てこない。ソ連旅行のことは、勤務先の旅行社か、山下新日本トラベルサービスの広告を見て、会社に来てほしいということだろう。

 その広告に、こうある。原文のまま書く。

 

ソ連邦への旅行

ソ連邦経由のヨーロッパ旅行は

 横浜―ナホトカラインをご利用下さい。

年間59航海、横浜―ナホトカ片道21,800円より40,400円まで5クラスに分かれています。

尚当社はソ連旅行公式代理店でありナホトカ経由モスコウ滞在2日間を含めてヘルシンキ9万4千円、ローマ11万5千円、パリ11万7千円(電報代、当社手数料別)でお世話いたします。

 

 『ヨーロッパ鉄道の旅』に宿情報はないから、旅行者は到着駅構内の観光案内所で教えてもらうか、“International Youth Hostel Handbook”を持っているか、その翻訳版である、『世界旅行あなたの番』(蜷川譲、二見書房)を買うことになるだろう。この本は1963年の初版以降改訂重版を重ね、私の手元に1963年初版と1969年の7版がある。鉄道旅行のガイドとしては、『世界旅行時刻表』(蜷川譲、二見書房、1970)の方がはるかに詳しい。上記『世界旅行あなたの番』と同様、旅行体験記に情報をつけたという構成ではなく、ユースホステルと鉄道情報だけという内容だ。定価は880円で、「ヨーロッパ鉄道の旅」(390円)の倍だが、情報量ははるかに多い。

 1973年から1990年代のある時まで、ガイドブックを持って旅をしたことがほとんどない。例外となる2冊が、『アジアを歩く』(深井聰男、山と渓谷社、1974)と、香港で買った“South-East Asia on Shoestring” (Tony Wheeler, Lonely Planet, 1977)だけだろう。些末なことだが、今気がついたことがある。ロンリープラネットは、本の表紙にはlonely planetと小文字だけで表記しているが、日本で言えば奥付けにあたる部分の発行元の表記は、Lonely Planetと大文字を使っている。

 それはさておき、私がガイドブックを持たずに旅していたのは、私が使えるガイドがなかったからだ。東アフリカに行った時は英語のガイドさえなかったから、私が自分で書いた(『東アフリカ トラベルハンドブック』(オデッセイ)。タイで過ごしていた時は、地図があればよかった。私の旅は観光地を転々と移動するというものではないから、地図を見ながら歩けばとりあえず用は足りる。街や国そのもののガイドは、本屋などに行って資料を買いあさる。1975年のヨーロッパ旅行でも、街に着いたら観光案内所に行って地図をもらい、安宿を紹介してもらう。アジアの旅だと、安宿や交通のほかさまざまな情報は、旅行者に教えてもらった。それが、1970年代から80年代のごく普通の旅だった。宿を予約しておくなどということは、少なくともリュックを背負っている旅行者がやることではなかった。だって、予約などしていたら、予約どおりの旅をしなければいけないじゃないか・・というより、予約を受けつけるような宿には、めったに泊まることはなかったのだ。

 「旅行ガイドブックなど要らない。ない方がいい旅ができる」と思っているわけではない。例えばインドで言えば、私が旅をしたのが、1973年、74年、78年だったから、ガイドブックはまだなかったというだけのことだ。もし、1980年代に入って、初めてインドを長期旅行しようと思っていたら、出たばかりの『地球の歩き方 インド』や『ブルーガイド海外版 インド』(これも深井聰男さんの手によるものだったはず)などを買って、旅に持って行っただろう。そして、安宿に置いてある旅行情報ノートを読み、書き込みをしただろう。