1673話 「旅行人編集長のーと」に触発されて、若者の旅行史を少し その21

 『ヨーロッパ鉄道の旅』をめぐるあれこれ 3

 

 林芙美子シベリア鉄道に乗った1930年代、ヨーロッパをめざす鉄道の旅は船旅よりも安くて早かったという話はすでに書いた。それでは、ナホトカ航路が始まった戦後はどうだったのか知りたくなった。

 1963年発行の『世界旅行あなたの番』(蜷川譲、二見書房)で調べる。当時、シベリア鉄道を使った旅は、横浜からヘルシンキまで、最低料金で8万1864円だった。一方、船旅はどうか。フランス郵船のもっとも安いクラス(4人部屋)だと、横浜からマルセイユまで8万円だと書いてあるが、『若い人の海外旅行』(白陵社、1970)には「最低クラスだと6万6000円で行けた」と書いてある。1969年9月にフランス郵船の東洋航路は廃止され、安い船便は貨客船しかなくなった。それ以後は、定期便を利用するなら、横浜からソビエト船に乗ってシベリア鉄道経由というのが、日本人がヨーロッパに行くもっとも安い交通手段になった。

 シベリア鉄道経由と言っても、おもに2コースある。ナホトカからモスクワまで鉄道を使うコースと、ナホトカから夜行列車でハバロフスクに行き、そこから飛行機でモスクワに飛ぶコースがある。全区間鉄道を使うと7日以上かかり、その間の食費を考えると、モスクワまで飛行機を利用した場合と旅費総額はほとんど変わらない。 

 漫画家一行が旅をした1972年の料金はわからない。1969年の料金は、前回紹介したように。ヘルシンキまで9万4000円、パリまでは11万7000円だ。私の手元に、1975年の旅行パンフレットがある。日ソ旅行社の料金は、旅行時期により11万5000円から12万5000円だ。LOOK(JTB)のパンフレットでは、パリやロンドン、ローマまでの料金で、だいたい15万円だ。日ソ旅行社もLOOKも、交通費や食費などすべて含んだツアー料金だ。ヘルシンキまで安く行って、すぐに仕事を探すか、ユーレイルパスで鉄道旅行をするか、ヒッチハイクをするか。目的地がパリなら、LOOKが便利かなどと旅行社で相談しつつ旅行プランを考えたのだろう。

 さて、ここで、1661話で紹介した1975年の格安航空券相場をまた見てほしい。

 「パリ 片道12万0000円 往復17万7000円」とか、「ヨーロッパ各都市往復21万5000円」とか、「ヨーロッパ往復18万円」といった数字が見える。1972年の事情は分からないが、1975年の時点では、明らかに飛行機の方が安い時代を迎えていることがわかる。フランス郵船が運航していた1969年9月までは船の方が安く、その後はシベリア鉄道経由がもっとも安くなり、1975年にはもう飛行機の方が安くなっている。シベリア鉄道を使ったLOOKのパリまでの片道団体旅行が15万円、1年オープンの格安航空券で行くヨーロッパ便の往復が17万とか18万といった料金だ。休暇の短い勤め人やヨーロッパだけが目的という人なら、飛行機を利用したほうが早くて安い。

 ジャンボジェット機就航にともない、1970年から航空運賃の大幅な割引が行なわれ、団体料金で個人にバラ売りするようになったから、もしかすると1972年の時点でも飛行機の方が安かったかもしれない。

 それでもシベリア鉄道を使う人がいたのは、まず第1に、格安航空券の存在を知らなかった人がいくらでもいたことだ。交通公社や近畿日本ツーリストなど、街角の旅行代理店に行って、「パリまで、安い切符ください」と言っても、「あいにく、扱っておりません」と断られたはずだ。1970年代の格安航空券会社は、あたかも「いけないもの」を扱っているかのように、目立たないところで営業していた。資金がないからそうなるのだが、そんなうさん臭い会社に大金を支払うのは怖いというのが、普通の感覚だろう。そして、「1662話 地方出身者」で書いたように、首都圏や京阪神の海外旅行の裏世界に足を踏み入れていないと、ヨーロッパ往復20万円以下という切符は手に入らないし、誰かの伝手で、たとえ手に入っても、空港でのチェックインとかトランスファーとかトランジット、あるいはリコンファームと言った約束事がわからないと混乱するだろう。

 この話は長くなりそうなので、次回に続く。