2013-01-01から1年間の記事一覧
台湾雑話 食べ物編 その3 ●虱目魚と書く魚は「サバヒー」と読み、台湾語の発音のまま、サバヒー科が存在する。英語ではミルクフィッシュといい、台湾やフィリピンでは国民的人気の魚と言っていい。だから、フィリピンでも台湾でも、「ものは試し」と食べて…
台湾雑話 食べ物編 その2 ●台湾に行ったら食べてみたと思っていた食べ物のなかで、今回は食べる機会がなかったのが油飯だ。醤油味の豚肉炊き込みご飯なのだが、肉粽(ちまき)のような味だ。安全旅社の近くに、油飯と魯肉飯(ルーロウファン、ひき肉のせご…
台湾雑話 食べ物編 その1 長らく書き続けてきた「餃の国紀行」は、今回から始まる台湾と食べ物に関する雑多な話の3回を残すのみとなった。財布と神経には優しいが、体重には悪いという国の胃袋物語を3話。 ●長い間台湾に行かなかったせいか、しだいに理想…
台湾雑話 その6 ●ショッピングセンターでも空港でも、至る所で「小心地滑」という表示を見かける。「掃除をしたばかりで床が滑るから、御注意ください」という意味だ。どうして床が滑るかというと、床掃除をしたからなのだが、「掃除」とは、「水浸しのボッ…
台湾雑話 その5 ●台北駅から西門町に歩いて行った時には気がつかなかったが、MRTの西門町駅を降りて地上に出て半円形の広場を見たときに、「ああ、ここの風景は覚えている!」と35年前を思い出した。この広場に面したビルに、大きく「新東陽」という看板が…
台湾雑話 その4 ●日曜日、高雄の公園に行った。入り口付近で、クレテックタバコ(丁子入りタバコ)の匂いがした。「こんなところに、インドネシア人?」と思ってあたりを見回すと、車座になって宴会をやっている男たちのグループがいくつもある。その半分く…
台湾雑話 その3 ●Easy Cardは関東のSuicaのようなカードで、MRT(地下鉄)やバスに使えるカードだ。このカードが日本の同様のカードよりもはるかに優れているのは、運賃が2割引きになることだ。しかも、MRTからバスに乗り継ぐと、バス料金が8元安くなる。日…
台湾雑話 その2 ●英語がよく通じるので、驚いた。シンガポールほどではもちろんないが、日本とは桁違いに英語が通じる。流暢ではないが、片言以上の日本語を話す若者にもかなり会った。地方の小さな飯屋で、華語でいろいろ話しかけられたが、わからない。若…
台湾雑話 その1 今回から、スタイルをがらりと変える。これからしばらく、台湾に関する雑話を続ける。前半はなんでも雑話、後半は食文化雑話としたのは、いままで「餃の国紀行」19回分の文章を書いているうちに、思い出したことや新たに手に入れた情報を加…
台湾人のお弁当 市立動物園に行った。動物に興味はほとんどないから、動物園を見に行ったというのが事実である。地図を見ると驚くのだが、台北は山の間にできた街だ。東京を知らない人には申し訳ないのだが、台北駅が東京駅だとすれば、山のふもと、深い森の…
本屋を巡って 本屋を巡っていても、どうしてもタイと比較してしまい、タイが特別な国なんだとよくわかる。タイで行きつけの本屋に行くと、タイに関する英語の本がいくらでも見つかる。タイ人が書いた本の翻訳はあまりなく、その多くは外国人が英語で書いたも…
台湾における「へ」の研究 香港で奇妙な中国語を見かけるようになったのは、もう30年以上前だろうか。香港人は、日本語の「の」の使い方がおもしろいと感じたようで、まず、「の」の代わりに的と之を使うようになった。中国語でももちろん「的」という字は使…
台湾映画 台湾でしたかったことのひとつは、台湾映画を見ることだったが、残念ながら私の滞在中の台北では、台湾映画は上映されていなかった。韓国と違って、現在の台湾では映画の製作本数が極端に少ないのだ。台湾人が台湾映画に興味がないから、作っても興…
自助餐讃 日本風に言えば、セルフサービスの大衆食堂だろうが、台湾の自助餐(ツーズーツァン)が好きだ。おかずが20〜30種、店によってはそれ以上のおかずを用意していて、客は好きな料理を好きなだけ皿にとり、その種類や量に応じた金額を支払うシステムだ…
自動車観察 自動車と建築は、街散歩を趣味とする者のおもちゃである。休日のオフィス街や住宅地など、散歩があまり楽しくない場所では、自動車や建築物を眺めていると、散歩に飽きないですむ。 台湾でも、歩道から、あるいはマックの窓ガラス越しに、自動車…
定食の思想 台湾は、戦後も日本の食文化の強い風を受け続けている。カレー専門店ができた、讃岐うどん屋が進出した、とんかつ、かつ丼、親子丼などが食べられる店が多いといったトピックだけを見ていると、大きな流れが見えなくなる。ここでは、次のふたつの…
餃子の日々 私の大好物は餃子である。皮の厚い餃子が好きなのだが、悲しいことに、日本では私好みの餃子を出す店は少なく、市販の餃子の皮は薄っぺらなものしかない。だから、餃子を食べたくなったら、自分で厚い皮を作るしかない。 そういう私だから、世界…
テレビばかり見ていた 夕方になると、宿が恋しくなった。早く帰ろうという気になる。テレビを見るのが楽しいからだ。台湾のテレビは、華語の字幕が出るので、英語だけの番組よりもわかりやすい。当然、タイのテレビよりもずっとよくわかる。だから、台湾の情…
台湾人とコーヒー その3 台湾人とコーヒーの話をもう少し続けたい。 私がこのコラムで言おうとしているのは、「台湾人はコーヒーの味がわからない」とか、「台湾にコーヒーの文化がない」などと批判しているのではない。台湾のコーヒー事情がどんなものか、…
台湾人とコーヒー その2 私はコーヒーが好きだから、散歩に疲れたら、静かな喫茶店でゆっくりコーヒーを飲みたくなる。朝と夜はマックに行くから、さすがに昼のマックは避けて、そこそこ以上のコーヒーが飲める店を探しながら散歩している。スターバックス…
台湾人とコーヒー その1 毎日、歩いていた。距離にすれば1日10キロほど、ときには20キロほども歩いたが、体を鍛える目的で歩いたわけではなく、好奇心のままに一日中歩いているのは昔と変わらないのだが、さすがに休憩の回数は多くなった。休憩は体の休憩で…
安全旅社 番外編 これは、番外編である。安全旅社にまつわる話は、全5話ですでに終わっていたのだが、もう1話加えなければいけなくなった。 帰国してすぐに、この「餃の国紀行」の文章を5万字ほど一気に書いた(だから、この「餃の国紀行」は、あと20回分…
安全旅社 5 基隆に行った翌日の午後、安全旅社のベランダに椅子を持ち出して、陳さんとおしゃべりをしていると、遠くにある大きなビルに、知っている会社の名が書いてあることに気がついた。 「陳さん、きのうね、あの会社の社長の娘と昼飯を食べたんですよ…
安全旅社 4 私が台北に戻った翌日の朝、春ちゃんから電話があった。何とか苦労して、この宿の電話番号を調べたのだろう。今日の昼に、一緒に食事をしよう。11時に宿に迎えに来るという。「場所を指定してくれたら、自分で行くよ」と言ったが、外国人はうま…
安全旅社 3 78年の旅は、台北から西海岸を少しずつ南下し、東海岸に回り、蘭嶼島(ランユータオ)にも行った。台東の街を散歩していたら、どこかの島に行く船会社の事務所を見つけて、切符を買った。名前も知らなかった島への船の旅もいいなと思った。船は…
安全旅社 2 安全旅社は、ほかの旅社とはかなり違う構造になっていた。台湾の旅社は1階が食堂か商店で、階上が客室になっているものが多いのだが、ここは一戸建てだった。路地裏の細い道を入って行くと、庭のある一軒家が見える。レンガを積んでモルタルで…
安全旅社 その1 1978年、台北松山空港に到着して、多分バスで台北駅に向かったのだと思う。その記憶はまったくないが、それまで国内外の旅で、「安宿は駅裏にあり」という原則があるとわかっていたから、とりあえず台北駅を目指したのだろう。駅近くなら、…
1978年の台湾 ひと月ほど台湾を旅行してきた。仕事で行ったのではなく、行かなければならない用があったわけでもなく、ただ「行きたい」と思っただけだ。何年も前から行きたいとは思っていたが、なかなか実現できなかったが、今年やっと実現したというだけの…
『海外旅行ABC』といっしょにネット古書店に注文したのは本も届いた。『恥ずかしい海外旅行』(小出英昭、高山港、青年書館、1979)は、まだバブル以前だが、ジャンボジェット機が就航して団体航空運賃が安くなり、プラザ合意でドルが安くなった(日本円が高…
『海外旅行ABC』で描かれる当時の海外旅行は、実は旅行荷物やチップの話など、現在の海外旅行とあまり変わらない個所が多いのだが、現在とは大きく違うことがふたつある。 まずは、カネの話だ。著者の旅は、1960年か61年頃だろうが、当然まだ海外旅行は自由…