554話 台湾・餃の国紀行 15

 自助餐讃


 日本風に言えば、セルフサービスの大衆食堂だろうが、台湾の自助餐(ツーズーツァン)が好きだ。おかずが20〜30種、店によってはそれ以上のおかずを用意していて、客は好きな料理を好きなだけ皿にとり、その種類や量に応じた金額を支払うシステムだ。日本の大衆食堂だと、おかずが皿に盛ってあって、客はその皿を自分でとるという明瞭会計なのだが、台湾の場合は料理を小分けしていない店がほとんどで、値段も明示していない。客がどれだけとるか決まっていないので、料金の明示ができないのだ。料金は、お姉さんやおばさんの概算で決まる。私が自助餐に通った理由のひとつは、市場で見かけた知らない野菜を自助餐で食べることができるからでもある。ヘチマや水連菜(タイワンガガブタ、Nymphoides hydrophylla)などがそういう例だ。
 自助餐は、どうやら2種類に分けられるような気がする。食材に限定なしの自助餐と、「素食」と明記している店がある。素食は菜食主義の店なので、肉も魚もない。健康ブームの影響か、「素食」の看板は、割とよく見かける。ウィキペディアでは、出典を明示せずに「台湾では国民の10%がベジタリアンである。この数字は第1位のインドの31%に次ぎ、2番目に高い比率である」と断定しているが、どうも疑わしい。
 素食の店に入ったことがある。当然、野菜だけなのだが、肉のように見える料理は豆腐や油揚げや湯葉など豆腐関連食品だ。その店では、料金は明瞭だった。料理の重さで金額を決めるのだ。日本式に言えば、1グラム・2円というようなシステムだ。
 別の分類法でも、2種類に分けられる。客が自分で料理をとる店と、客が指さした料理を従業員が皿に盛るシステムの店だ。数の上では、客が自分でとる店の方が多いように思う。
 このほか、自助餐ではあっても、食べ放題の店がある。1000元、1500元もする高級ホテルのブッフェもこの範疇だろうが、当然私の知るところではないし、興味もない。
 店に入った客は、持ち帰りにするか店で食べるか、どちらに決めなければいけない。持ち帰りの場合、入口に置いてある紙の弁当箱(以前は、発泡スチロール製だった)を手にする。店で食べる場合、トレイに紙皿をのせる。そう、紙の皿なのだ。茶碗も汁椀も、紙なのがなさけないと同時に、「資源は大事に使いましょう」という国の大運動に反する行為だ。箸は、袋入りの竹箸(タイと同じ)。自助餐でも、陶磁器の食器で食事したいと思う日本人の私である。ちなみに、屋台では韓国と同じように、皿にビニール袋をかぶせて、袋を使い捨てる。『おどろ気ももの木台湾日記』(及川朋子・田中維佳・氷室美郷・本間美穂、毎日新聞社、1999)によれば、90年代の台湾人家庭でも紙の食器と割り箸を使っている人がいるという報告がある。日本人ほど食器に神経を使う民族はいないのは事実なのだが、紙やプラスチックの食器はやはり嫌だ。
 持ち帰りにするなら、弁当箱にご飯を入れてもらう。おかずは、飯の上にのせてもらう。店で食べるなら、紙の飯茶椀に飯をよそってもらう。この茶碗は、幼稚園児の茶碗のように小さく、そこに山盛りの飯を盛るのが自助餐式だ。あとは好きな料理を自分でとるか、店員に「これ」と言って指さす。魚を選ぶと、高くつくから要注意だ。
 次は汁だ。無料の汁が置いてある店と有料の汁だけの店がある。無料の汁は、具などほとんど入っていないから、薄い味がついているお湯だと思ったほうがいい。有料の汁だと20〜30元、あるいはそれ以上することもある。だから、無料の汁と無料のお茶にすれば、1食が70〜80元程度かそれ以下、有料の汁をとれば100元を超えるが、並みの胃袋を持つ人なら、どんなに食べても150元を超えないだろう。
 ある日の夜、何かおいしいものを食べようと西門町に歩いて行った。35年前と同じだなあと思いつつ、今夜も餃子にしようか、昼も餃子だから、いかになんでも・・・などど考えていたら、中華路の向こう、漢口街との交差点近くに、「山珍海味 自助餐」という看板が見えた。山珍海味は、日本では語順が変わり山海の珍味になった。なんだか、うまそうだ。自助餐に行く気ではなかったが、この店を覗いてみよう。この店は、店員が客の皿に料理をのせる方式で、お茶はただだが、無料の汁はない。看板とは違い、山海の珍味はないが、ちょっと高級そうな料理が並んでいる。豆腐の汁をとって、合計100元。2階に上がって、ゆっくりと食べた。どこの店でも思うのだが、飯がうまい。日本のうまいコメと同じくらい、飯がうまい。おかずもうまい。昼夜にそれぞれ数時間だけの営業だ。この店が気入り、その後3度通うことになった。
 うまいと思っても、食文化調査のためには、いろいろな場所で食べてみるべきだと思ったのは、ブティックが建ち並ぶ頂好(ティンハオ)地区にある自助餐に行ったときだ。若い女性客もいた。時間帯によるのかもしれないが、さすがに20前後の男女はいなかった。ブティックの店員も、弁当を買って食べることはあるだろう。それまで自助餐は、中高年の男の裏寂しい食事場所なのか考えていたのだ。場所によっては、若者も来るのだ。認識を新たにした。
 台湾の自助餐は、単行本になるくらいの情報にあふれている。『新しい台湾 いろいろ事始め』(亜州奈みずほ、凱風社、2001)は、「東大卒、台湾留学経験あり」を売り物にする著者が書いた本で、自助餐は「九〇年代前半に登場した」などと書いているが、70年代に私は食べているし、83年の『宝島 スーパーガイド』でも紹介されている。自助餐の話だけでなく、誤記の宝庫のような本なので、これ以後、この著者の本は読まない。
 「九〇年代前半」という記述のネタ元は、これかもしれない。『ワールドカルチャーガイド 台湾』(トラベルジャーナル、2000)に、こうある。
「一九九〇年代前半に、台湾の飽食時代が幕を開けた。街中の多くのレストランが『自助餐』と呼ばれるバイキング形式への転換を図ったのだ」
 「九〇年代前半」に自助餐が生まれたのではなく、その時期に自助餐の数が増え、高級化とか食べ放題とか、さまざまなバリエーションが生まれたというのが事実なのだが、どうやら誤読したようだ。