2003-01-01から1年間の記事一覧

45話 本は貸したくない

手持ちの資料が誰かの役に立つものなら、何冊でも貸してあげたいとは思うものの、その本 が帰ってこないのではないかという不安があって、ほとんど貸したことがない。 ある日、まったく知らない人から自宅に電話があった。出版社で私の電話番号 を聞いたらし…

44話 旅行記を書いた若者たちのその後(2)

前回に引き続き、食文化の研究会での話。 西澤さんと、1970年代の若者の海外旅行の話を少しした。 「旅行記では、『おまえも来るか! 中近東』というのもありましたね」 私がそういうと、西澤さんも「ああ、ボクも買いましたよ」といった。彼とは一歳違いだ…

43話 旅行記を書いた若者たちのその後 (1)

旅行記というのは、素人が簡単に参入できる数少ない分野なので、素人の手による旅行記が あまた出版されている。若者が書いた旅行記というのは、「青春の記念碑」という意味合いがあるのか、本を出すことだけが目的で、その目的が達成されれば、 旅暮らしも…

42話 言葉の話(3)

2時間のフィリピン語 1980年代初めにケニアに行ったのは、スワヒリ語を学ぶためではないが、しばらく滞在していれば、とりたてて努力などしなくても、ある程度はできるようになるだろうと楽観していた。 実際にナイロビで暮らし始めてみると、このアテがは…

41話 言葉の話 (2)

タイ語改革委員会の設置を、ぜひ タイ文字がややこしいということは、タイ語を勉強したことのない人でも、あの文字を見ればわかるだろう。インドネシア語なら、まったく勉強したことのない 人でも、最初から辞書がひける。ayam という語がわからなくても、辞…

40話 言葉の話(1)

「上等」という言葉と沖縄 インドネシアの女優、クリスティン・ハキムさんが来日して、自身が主演した映画について語る会があった。その映画は悲劇的な結末(意地悪い言い方をすれ ば、お涙頂戴の結末)で終わるのだが、私は「主役の女性は、どんな境遇でも…

39話 間違いやすいアジア

アジア関係の本を読んでいると、さまざまな書き手が同じ事柄で間違っているということがある。ガイドブックなどの記述を鵜呑みにしたせいだったり、うっかり勘違いしたものもあるだろうが、こんな間違いがしばしば登場する。 ●断食月……イスラム教徒は年に一…

38話 イギリス人、カレーを食べる

宮本常一の『イザベラ・バードの「日本奥地紀行」を読む』(平凡社ライブラリー)は、明 治初めに日本を旅行したイギリスの旅行作家の作品を、民俗学者が解読し、解説した本だ。この本で、バードが秋田でカレーを食べたという記述があることを 知った。『日…

37話 東南アジアのインド料理

サイゴン篇 夕方のサイゴンをさまよい、うまそうな屋台を見つけて夕御飯を食べた。そのあと、いつも のように腹ごなしの散歩をしていたら、住宅地のなかに「インド料理」という看板を見つけた。ベトナムとインドは、イメージのなかでどうも結びつかない。マ …

36話 東南アジアのインド料理

バンコク篇 インドには都合3回行った。最後に行ったのは1978年だから、長らく行っていないことになるのだが、なにか特別な理由があるわけではない。「行きたい」 という情熱がまったく湧いてこないだけだ。東南アジアの安楽・平穏・微笑に慣れてしまうと、…

5話 神田神保町

聖橋口から 何年も神田を歩いていると、しだいにその巡回路がだいたい決まってくる。決まりきったコースはおもしろくないので、ときどきコースを変えるものの、立ち寄る本屋はだいたい決まっている。 JR御茶の水駅の聖橋口を出て、まず三進堂へ。旅の本と…

34話 ヨルダンのアメリカ人

1975年の晩秋、私はヨルダンの首都アンマンにいた。 ある日の朝、バスで死海のほうに行ってみようかと思って宿を出たものの、バスターミナル近くで若者に出会い、世間話をしているうちに彼の車でドライフす ることになり、いくつかの遺跡を巡り、結局その夜…

33話 神田神保町

成人篇 高校を出て建設作業員になったから、金銭的余裕はできたが、稼いだカネは国内旅行に使ってしまい、相変わらずの貧乏だった。海外旅行のために貯金をしなけ ればいけないということはわかっていても、ある程度のカネがたまると国内旅行に使ってしまっ…

32話 神田神保町

高校篇 60年代末から70年代初めが、私の高校時代だ。高校生になると、神田に行く機会が多く なった。小遣いを多少多くもらえるようになったこともあるが、本と映画以外にカネを使わなかったせいでもある。級友たちは、レッドツェペリンだ、サンタナ だとロッ…

31話 神田神保町 

中学篇 初めて神田に足を踏み入れたのは、1965年だった。中学1年生だった。 同級生に本の好きな男がいて、なにげなく「一度、神田に行ってみたいね」と言ったら、「じゃあ、今度の日曜日に行こうか」ということになった。彼もまだ 行ったことがなかったから…

30話 東南アジアの小説を巡る話 (3)

東南アジアの小説をもっとも熱心に読んだのは、80年代なかばだった。食文化の資料として、ノートをとりながら次々と読んでいった。それ以前に出ていたタ イの小説は当然すでに読んでいたが、食文化にポイントをしぼって読んでいくと、それまで見えなかった部…

28話 東南アジアの小説を巡る話 (2)

日本人の友人が、中国系インドネシア人と結婚した。そこで、結婚祝いに「東南アジアブックス」の一冊、『タイからの手紙』(ボータン、冨田竹二郎訳)を 送った。第二次大戦直後にタイに移住した中国人の半生を描いた作品なので、インドネシアの中国人世界に…

28話 東南アジアの小説を巡る話 (1)

勁草書房の社長だった井村寿二氏が、東南アジアの文学や社会科学論文を翻訳して出版する 井村文化事業社を作ったのは、1970年代なかばだろうと思う。井村文化事業社発行、勁草書房発売というかたちで「東南アジアブックス」シリーズの刊行が 始まるのは、76…

27話 アジアをめぐる「鳥」についての短い考察

『インドネシア語の中庭』(佐々木重次編著、Grup sanggar)を読んでいたら、鳥(burung)は幼児のオチンチンの意味もあるという話がでてきた。辞書で確認すると、まさにそのとおりだ。さて、これは中国語の影響だろうか? 中国語は、基本的には1語にひとつ…

26話 マイナーとメジャー

例えば、あるライターが「ブルキナファソの本を書こうかと思うんですが……」と編集者に 言ったとする。編集者が普通の日本人なら、ブルキナファソが人名なのか芸術のあるジャンル名なのかまるでわからないだろう。もし世界地理に詳しい人なら、 それがアフリ…

25話 こんな本はいやだ(2) 

カラー写真 むかし、そう1960年代でも雑誌のカラーページの色はくすんだ感じだった。映画はまだ「カラー」より「総天然色」という言葉で宣伝している時代だった。「総」というのは、映画の一部がカラーになる「パートカラー」ではなく、映画全編がカラーとい…

24話 こんな本はいやだ(1) 

厚い本 通常、単行本の原稿量は400字詰め原稿用紙にして400枚から500枚くらいだろう。800枚とか1000枚もあると、2段組にするか、上下2巻にしたりする。 原稿量が多くなれば本は厚くなり、少なければ薄くなる。それが自然なのだが、薄いと「高い」という印…

23話 外国語学習の歴史

世の中には、「ちょっと前までは考えられなかった」というようなことがいくつもある。コンピューターや携帯電話といった工業製品はもちろん、アジア関係のものごとでもそういった例はいくつもある。例えば、外国語学習の場だ。 大宅賞を受賞した『北朝鮮に消…

22話 「お世話になりました」

宮脇俊三の鉄道旅行記を何冊か読んだことがあるが、どれもそれほどおもしろいとは思えな かった。鉄道マニアが書く旅行記ならば、文章の随所に鉄道知識がちりばめられていると期待したのだが、鉄道マニアでなくても書けそうな普通の鉄道旅行体験 記だった。…

21話 ものすごくおかしいぞ、千葉敦子

仕事上の必要があって、千葉敦子の本を初めて読んだ。「ガンと戦いながら書きつづけたジャーナリスト」という面が強く宣伝されていたのは知っていたが、その著作は一冊も読んだことがなかった。 今回読んだのは、『ちょっとおかしいぞ、日本人』。単行本は新…

20話 文化入浴学試論 2

中国の銭湯映画とは、「こころの湯」という作品である。1999年の作品で、テレビ番組「大地の子」に出演した朱旭の主演ということで、日本でもそこそこ 話題になった。映画そのものの紹介はしないが、北京の銭湯がどうなっているのか映像でわかるのがありがた…

19話 文化入浴学 1

中国の公衆便所の報告というのは数多くあるけれど、風呂の話はよくわからない。私は中国 には行ったことがないし、中国の文化にとくに興味を持っているというわけでもないので、資料を積極的に読むこともしていない。ただし、どこに住んでいよう と人間の生…

18話 大差なし

数年前のことだ。 タイにアジアブックスという書店がある。バンコクに着いたらその支店めぐりをするのがいつもの行動なのだが、ある支店を出たところで、知人にばったり 会った。『食は東南アジアにあり』の著者のひとりであり、タイやマレーシアやラオスの…

17話 旅行記と滞在記

ポルトガル旅行に際して、ポルトガル関係書を何冊か読んだ。イギリスやフランスに比べれ ば、ポルトガルの本は少ないから現在入手できる本は一応チェックした。そのなかでベストと呼べるおもしろさだったのが、『ポルトガル便り』(植田麻美子、 彩流社、199…

16話 英語の本

ポルトガルの本屋に、ポルトガル語の本ばかりあるのは当然なのだが、それが当然だと感じなかったのは、東南アジアの書店事情に慣れてしまっているからだ。 ラオスを除けば、程度の差はあれどの国でも英語の本が手に入る。イギリスやアメリカの植民地だったマ…