41話 言葉の話 (2)

 
 タイ語改革委員会の設置を、ぜひ


  タイ文字がややこしいということは、タイ語を勉強したことのない人でも、あの文字を見ればわかるだろう。インドネシア語なら、まったく勉強したことのない 人でも、最初から辞書がひける。ayam という語がわからなくても、辞書をひけば「ニワトリ」だとわかる。なんだ、インドネシア語はこんなに簡単なのかと安心していると、学習が進むと語形変化し た語は辞書には載っていないとわかってくる。接頭辞や接尾辞の知識がないと辞書がひけないから、そんなに簡単ではないのだと気がつくのだが、それにして も、タイ文字を覚える苦労に比べたら、まあ、大した苦労ではない。とはいえ、私はいまだにインドネシア語の語形変化を覚えられないのだから、困ったもの だ。最近、またしてもポルトガル語の勉強を始めたのだが、語形変化のことを考えると、タイ語や中国語は楽だなあと思うのである。やたらに変化する西洋語 が、うっとうしくなる。
 それはさておき、タイ文字のややこしさを説明すれば、きりがないくらいある。
 文字そのものを一応覚えるのに、私の場合ひと月以上かかった。そのレベルを越えても、まだまだ壁がある。その壁のなかで、「勘弁してくれよ」と嘆きたく なるほど「ややこしさワースト3」に入るのは、ほぼ同音の文字がいくつもあることだ。例えば、ローマ字なら k で書くべき文字が、タイ語では6つもある。 t は8つだ。 s は3つ、 r が2つという具合に、やたらに文字が多い。まあ、有気音と無気音の別ということもあるから完全に同じ音ではないのだが、いくらなんでも数が多すぎる(と、 なまけものの日本人は思う)。だから、あるタイ語を耳にしても、その綴りが簡単には想像できないのだ。複雑な発音のタイ語を、正確に聞き分けられる耳を 持っていれば、やや楽なのだろうが、鈍耳の私にはつらいのである。
 「ややこしさワースト3」には、ほかに外来語の表記法をあげたい。タイ語にはインド系言語が多数入っているのだが、その綴りが元の綴りをできるだけその ままタイ文字に移そうとしている。例えば、タイにはナコーン・サワンをはじめ「都」を意味するナコーンという語がつく地名が多いのだが、この「ナコーン」 の綴りをそのままローマ字で書けば、nkr である。母音がない。語尾の r は n の発音に変るというややこしい決まりもある。サンスクリットの綴りが nkr だという理由で、「ナコーン」と発音させるのはあまりに教養主義的すぎる。この「ナコーン」は、インドネシア語のヌガラ(国)と同じ語源である。ワースト 3のもうひとつは、どれにしようか迷うので、省略する。そのくらい不満があるということだ。
 かつて、そんな話を在日タイ人留学生に訴えたことがある。
 すると、彼は苦笑いしながら言った。
「まあ、お気持ちはよくわかりますが、私としては日本語の、この複雑な表記をなんとかしていただきたいと思っています。漢字の読み方の複雑さを、なんとかしてくださいよ」
 そうだろうと思う。私だって、頭が痛いのだから、他の国の言葉に文句が言えた義理ではない。
 ただ、かつて、タイ語の大改革が行なわれたことがある。1942年のことだ。ときの首相ピブーンは、国粋主義の思想から、主にインド系の外来語にしか使 わない文字を廃止した。これだけだって、かなりすっきりする。しかし、1944年に失脚すると、守旧派がこの改革を破棄してしまった。教養人は、自分が苦 労して獲得した教養を誇示したいばかりに、簡素化に反対するのである。これなど、日本でも同じだろう。一般人が読めないような難しい漢字をできるだけ多く 使えば、それだけ教養ある人物だと示せると思っっていた人がいくらでもいた。それが今は、西洋語を多く使えば教養人だと思うヤカラに代わっている。
 蛇足を書いておくと、ピブーンは1938年から44年と、48年から57年まで首相をつとめ、タイでもっとも長く首相をやった政治家だが、政変で失脚し て日本に亡命し、64年に相模原市で死亡した。日本時代のピブーンについて詳しく書いた文章は、まだ読んだことがない。