42話 言葉の話(3)

 2時間のフィリピン語


 1980年代初めにケニアに行ったのは、スワヒリ語を学ぶためではないが、しばらく滞在していれば、とりたてて努力などしなくても、ある程度はできるようになるだろうと楽観していた。
 実際にナイロビで暮らし始めてみると、このアテがはずれた。普段ナイロビで接する人たちは、みな英語が堪能で会話に不自由することはなかった。外国語に 興味はあっても、それをコツコツ学ぶような勤勉さに欠ける私は、スワヒリ語を学ぼうという意欲はなくなった。これから半年か一年、スワヒリ語を学んだとし ても、現在の英語力を抜くことはないだろう。それならば、スワヒリ語を学ぶ時間を、英語でのおしゃべりに使ったほうが楽しい。カタコトのスワヒリ語で、内 容のない会話をするよりも、英語で実りある会話をしたほうが楽しい。この明解な論理によって、スワヒリ語は学ばないことにした。
 とくになにをするという予定のない滞在だったから、いつもヒマだった。その退屈しのぎに、日本から持ってきたスワヒリ語の教科書を広げてみた。単語集は ざっと目を通したことはあったが、文法の教科書のページは、そのとき初めて読んでみた。それは、スワヒリ語の勉強をしたくなったというより、日本語で書い てある文章を読みたくなった、というほうが正しい理由かもしれない。
 スワヒリ語の文法は、とんでもないものだった。「えっ、なんだこの文法は!」と驚愕の声をあげてしまうほど、奇異なものだった。奇異というのは、つま り、いままで知っているどんな文法とも関連がないというもので、多分、初めて日本語を学ぶイギリス人だって、同じような声をあげるにちがいない。
 スワヒリ語の文法がどんなに複雑か、手元にまだ教科書があるから引用して説明することもできるのだが、そんなことはしない。とにかく、ドイツ語やロシア語とは別な意味で、学習意欲をなくす文法なのである。
 フィリピンの場合もケニア同様、英語が広く通じるので、フィリピン語(ピリピーノ語、あるいはその元になるタガログ語も)の勉強はまったくしなかった。 勉強しなくても、旅をしていれば食べ物の名前などいくつか覚えていくが、スペイン語をそのまま使っている語もあるので、なんとなくわかる言葉もあって、 フィリピン語の学習を迫られる状況にはなかった。いくつかの単語を覚えただけで、文法を学んで、ちゃんとした文章をしゃべろうという意欲はまったくなかっ た。
 あれはフィリピン映画を見たあとだったか、フィリピンに対するそれまでの私の姿勢があまりに冷たかったのではないかと少々反省し、書店に行って言葉の本を買った。
 『フィリピン語の日常基本単語集』(和泉模久、ナツメ社、1993年)を選んだ理由は、衣食住に関わる日常生活の単語が多く集めてあるから、原稿を書くときの参考になるのではないかという気がしたからだ。
 初めて文法の項を読んで、びくっりした。こんな言語があるとは思わなかった。基礎知識がまったくないが、フィリピン語は、文法的にはマレー語などと近いのではという予感があったのだが、まったく違う。ちょっと紹介してみよう。
 「山田氏は日本人です」という日本語は
 Hapones si Yaamda.になる。
 「少年は本を読んでいる」は,
 Bumabasa ng aklat ang bata.
  読んでいる を  本   は  少年
 主語が最後にくるなんていう言語があったんですね。書き言葉では、主語を頭にもってくる語順の文もあって、それを「倒置語順」というそうだ。
 浅学ゆえに、世界の言語知識に乏しく、だから絶えず新鮮な驚きがあるのだが、その驚きをきっかけに本格的にその言語を学ぼうという意欲に著しく欠ける性 格の私は、せっかく買ったフィリピン語の本を、うつらうつらした時間も含めてのべ2時間ほど目の前に置いただけで、本棚に居場所を移した。
 それから数年後、バンコクの友人宅でフィリピンをめぐる雑談をしたことがある。友人の母はフィリピン人なので、馬車の話から食生活や芸能や教育などさまざまな話をした。
「ところで、フィリピンの言葉は勉強したことがあるの?」
 友人の母が私にたずねた。
「いや、まったく。ただ、2時間ほど、ちょっと単語だけを……」
 しどろもどろにそういうと、彼女は意味ありげな笑顔を浮かべた。
「ふーん、2時間ねえ。なるほど。先生はきっと美しい方でしょうねえ、もちろん」
 「2時間」というと、そういう連想をされてしまうのか。もしも、そんな個人授業を受けていれば、食べ物の単語をいくつかしか知らないという状態ではないはずで、だから、居眠りしながらフィリピン語の本を2時間開いただけなんだって。
 そう反論したら、「まあ、いいから、いいから」と、とりあってくれなかった。