43話 旅行記を書いた若者たちのその後 (1)


 旅行記というのは、素人が簡単に参入できる数少ない分野なので、素人の手による旅行記が あまた出版されている。若者が書いた旅行記というのは、「青春の記念碑」という意味合いがあるのか、本を出すことだけが目的で、その目的が達成されれば、 旅暮らしも執筆の日々も終わり、普通の社会人に姿を変えていく。なかには、そのまま紀行作家への道を探ろうとする者もいるが、現実は厳しく、第二、第三 の、あるいは第二五の小田実にはなかなかなれない。だから、旅行記の著者は、名前をはっきりと覚えられる前に出版界から姿を消していくか、あるいは名前が 表に出ない裏方の仕事につく。
 最近になって、昔読んだ旅行記の著者のその後が、偶然にもわかるという出来事があった。
 私は10年ほど前から食文化のある研究会に出席していて、本筋の研究会そのものも、もちろん勉強になるが、さまざまな分野の研究者たちとの雑談も楽しいものだ。
「前川さんは、最近はどんな分野に手をつけているの?」
 中国を専門地域とする文化人類学者が、休憩時間に声をかけてきた。
「戦後日本人の海外旅行の歴史を調べてまして、ここ数週間は若者の海外旅行に的を絞って、旅行記などからその動向を探って行こうと思ってまして、あっ、そ うだ、『旅の技術 アジア篇』という昔出た本の著者のひとりが、あの藤井省三じゃないかと思うんですが、なにか知ってますか……」
 『旅の技術 アジア篇』(旅の技術編集室編、風濤社、1976年)は、紀行文に情報ページがたっぷりついた構成で、情報量の多さでは当時としてはピカイ チである。その本を出版当時に買っっているのだが、しばらくしてあるライターに貸してそのままになっていた。最近になって、そのライターに会い、昔の海外 旅行の話をしていたら、「こんな資料でよかったら、貸してあげるよ」といって手渡されたのが、この『旅の技術』だった。どう考えても私の本だろうと思うの だが、もう20年以上前のことだから、いまさら事を荒立てたくなくて、必要部分だけコピーして返却した。だから、本を貸すというのは嫌なのだが、その話は いずれまた。
 さて、二十数年ぶりに目にしたこの本の「旅の技術編集室工作員紹介」という部分を読んでいたら、4人の著者のひとりに「藤井省三 1952年生。東京大 学大学院生」とあった。この人物は、中国学者として有名な東大教授の藤井氏ではないか。そんな疑問が浮かんだので、以前に藤井氏の著作の話をしたことがあ るこの文化人類学者に確認したくなったのである。
「ええ、そうですよ。あの『藤井省三』は東大の藤井さんですが、ボクも著者のひとりだって気がつきました?」
「ええ! たしかに、西澤という名で気になったのですが、でも名前が違っていたので……」
「あれは、誤植なんですよ」
「著者名が誤植なんですか?」
「そうなんですよ」
 あの本で,「西澤晴彦 1953年生。桜美林大学在学中」と紹介されているのは、現在、武蔵大学教授の西澤治彦氏だったのだ。
 これで、著者4人のうち2人の消息はわかった。
「あとの2人は、いまどうしてらっしゃるんですか?」
「さあねえ、まったくわからないんですよ」