38話 イギリス人、カレーを食べる

 宮本常一の『イザベラ・バードの「日本奥地紀行」を読む』(平凡社ライブラリー)は、明 治初めに日本を旅行したイギリスの旅行作家の作品を、民俗学者が解読し、解説した本だ。この本で、バードが秋田でカレーを食べたという記述があることを 知った。『日本奥地紀行』(イサベラ・バード、高梨健吉訳、平凡社東洋文庫、1973年)はずいぶん前に読んでいるから、そんな個所があったという記憶が ない。そこで本棚からその本を取り出して、秋田の部分を開いた。すると、カレーの部分に傍線が引いてある。
 
 当地における三日間はまったく忙しく、また非常に楽しかった。「西洋料理」 ―― おいしいビフテキと、すばらしいカレー、きゅうり、外国製の塩と辛子がついていた ―― は早速手に入れた。それを食べると「眼が生きいきと輝く」ような気持ちになった。

 このページの下部には、「秋田、1878年に!」という書き込みがあるうえに、付箋まで 張ってある。それなのに、まったく覚えていなかったのにガックリきた。読み飛ばした部分ならまだしも、書き込みまでしていながら、まるで覚えていないとい う貧弱な記憶力にちょっと自己嫌悪になった。しかし、これなどまだいいほうで、数年前にある書店で石毛直道さんの新刊を見つけ、うれしくなってすぐ買い、 帰宅して読み始めたら、つい数週間前に読みおえた本だと気がついた。安くない本だということもあって、これはかなり落ち込んだ。記憶力が減退すると、不経 済である。ただし、同じ本を何度読んでも、初めて読む気になれるほどの記憶力なら、かえって経済的ともいえる。
 さて、カレーの話だ。この時代の秋田に西洋料理店があったというのに興味があって、秋田市のホームページ「あきた不思議発見伝」をチェックすると、バー ドのこの部分が引用され、解説がついていた。この西洋料理店は「明治11年開店の与階軒(與諧軒)だろう」としている。明治11年1878年だから、開 店した年にバードが食べたとこになる。日本では、明治以前から西洋料理店はあったが、西洋と関係の深い街での開店だった。なぜこの時代の秋田に西洋料理店 があったのかというと、このホームページによれば、西洋志向が強い県令(県知事)がいたかららしい。
 イサベラ・バードとカレーの話は、『日本奥地紀行』よりずっとあとに出版された『朝鮮紀行』(イザベラ・バード、時岡敬子訳、講談社学術文庫、1998 年)に出てくるのは記憶していた。バードが朝鮮半島を旅行したのは、1894年だった。用意した装備について、こう書いている。
  
ぶざまで重たいこの荷物に加えて、わたしは鞍、寝具一式と蚊帳のついた簡易ベッド、 モシリンのカーテン、折りたたみ椅子、着替えふた組、わらじ、防水時計を持っていた。ほかに、緑茶、カレー粉、二〇ポンドの小麦粉を持っていくことにした。
 
 通訳と料理を含む雑用すべては、「清国人のウォン」が担当していた。

  白状すれば、昼食はいい加減なものであった。カレー用の鶏はいつでも手に入るというわけにはいかず、卵並に小さいこともしばしばで、漁をしている少年をつかまえてときどき分けてもらう川魚は、とても小さくて骨が多かった。

 この部分以外にもカレーが登場しているかもしれないが、記憶がない。装備は長崎で揃えた ものや、朝鮮に着いてから入手したものや、イギリスから運んで来たものもあるだろうが、カレー粉は19世紀初めに製品化されたイギリス製のC&B社のもの だろう。19世紀末のイギリスでは、カレーはすでにかなり普及した料理だった。

 余談をしておくと、この本の奥付上に、著者略歴がでている。

 イサベラ・バード(イサベラ・ビショップ) Isabella L. Bard (Isabella L. Bishop) 1831〜1904 イギリスの女性旅行作家。イギリス王立地理学会特別会員。1979年、結婚によりビショップと改姓。………

 「うん?」と疑問に思うでしょ。1904年に死んでいる人が、1979年に結婚するわけ はない。「1879年」の誤植ではないかと調べてみたが、そうでもないらしい。1880年に婚約し、結婚は1881年。改姓した年号はわからないが、結婚 前に姓を変えるかな。出版業界内部の話をすると、こういう著者紹介は編集者が書くことが多く、しかもあまり熱心に校正しない部分である。じつは、私の本に も同じような誤植があるから、他人事ではないのである。
 さて、バードの朝鮮紀行から20年たった1914年の南極に、イギリス人たちの探検隊がいた。南極横断を目指して出発したその隊は、船が氷に閉じ込めら れ、氷の圧力によって船が破壊され、しかし九死に一生をえて全員無事に帰国したことで話題になった。その過程を書いた『エンデュアランス号漂流』(アルフ レッド・ランシング、山本光伸訳、新潮社、1998年)には、次のような文章がある。「南極・死の彷徨」をしているときの食事である。


  グリーンは夕食にアザラシのカレーをふるまって収穫を祝った。が、このカレーを一口食 べるや、ほど全員が顔をしかめる結果となった。グリーンは通常の三倍もカレー粉を入れてしまったのだ。<飢えをしのぐためには、これを食べるしかなかっ た> マクリンは後に日記に書いた。<が、口の中がまるで石炭がまのようで、喉が焼けるように乾いた>。

 不勉強とはいえ、イギリス人が、19世紀の朝鮮旅行にも南極探検にも、カレー粉を持って行くほどカレーが好きだとは知らなかった。