37話 東南アジアのインド料理

 サイゴン


 夕方のサイゴンをさまよい、うまそうな屋台を見つけて夕御飯を食べた。そのあと、いつも のように腹ごなしの散歩をしていたら、住宅地のなかに「インド料理」という看板を見つけた。ベトナムとインドは、イメージのなかでどうも結びつかない。マ レーシアやシンガポールはもちろんビルマや香港も、元英国植民地にはインド人(インド亜大陸)の出身者が住んでいても不思議ではないが、ベトナムのイメー ジのなかにインドの影はない。東南アジアのなかで、インド文化の影響をほとんど受けていないのが、ベトナムとフィリピンで、だからトウガラシをたっぷり 使った料理がほとんどない。
 店の外観からして最近できた店らしいが、「これはひとつ、調査をしてみなければいけない」と食文化研究者の好奇心がムクムクと頭をもたげてきた。夕食を 終えたばかりで満腹だが、チャイ(ミルクティー)なら飲めるし、その日の取材ノートをまとめておきたいという理由もあった。宿には机はなく、暗いから、書 き物ができる場所が欲しかった。
 店には西洋人の客が二組いた。テーブルは全部で五つほどあった。店に入ると、メニューを持ってテーブルに近寄ってきたのは、インド人だった。もちろん国籍などわからないから、「インド亜大陸出身者のような顔をした男」というほうが正確だろう。
「チャイだけでもいいですか」
 英語でそう言い、男がうなずいたものの、彼が手にしたメニューに「samosa」という文字が見えて、それも食べたくなって注文した。
 サモサというのは、インドの代表的なスナックで、英語では「カレー・パフ」と訳されることが多い。汁けのない野菜カレーをパイ生地で包んであげたもの だ。地域によって三角形や円錐形や半円形のものなどがある。インド料理を知らない人は、揚げ餃子だと思うかもしれない形状だ。インドの菓子は想像を絶する ほど甘いのでほとんど食べないが、このサモサはほどよい辛さで甘いチャイと相性が良く、散歩に疲れた午後や長い鉄道旅行のときなどにしばしば口にした。
 バッグからノートとボールペンを取り出したところで、テーブルにチャイが届いた。日本の喫茶店のミルクコーヒーと変らない紅茶だった。つまり、味も香り もない。ここ数日に見聞きしたことをノートに書きながらサモサの到着を待っていたが、なかなかやってこなかった。10分たち、20分たっても、姿を見せな い。サモサは注文があってから作る料理ではなく、あらかじめ作っておくものだ。客の誰も、揚げたてアツアツのサモサを期待してはいない。
 腹が減っているときなら、店主を呼んで催促するのだが、ちょっと前までたらふくベトナム料理を食べていたのだから、たいして腹も立たなかった。まずい紅茶をもう一杯注文し、サモサがまだ来ていないことをなんとなくほのめかした。
 その店で「サモサ」と称するものが姿を見せたのは、注文してから小一時間もたったころだった。皿にのったその料理は、とてもサモサなどと呼べるようなし ろものではなかった。ホットドッグかと思ったね、ホントに。小麦粉を練って棒状にして、真ん中に切れ目を入れ、そこに野菜カレーを注ぎ、フライパンに多め の油を入れて焼いたものだ。だから見かけはホットドッグだが、練った小麦粉が発酵していないので、ガシガシに堅い。サモサが品切れならそう言えばいいの に、やっつけ仕事でこんなひどいものを作りやがった。店主がインド人なのに、このザマだ。
 帰国したら、松岡環さんから手紙が来ていた。私より先にベトナムに行っていたらしい。さっそく電話して、サイゴンのインド料理店の話をした。
「へえ、前川さんも行ったんですか?」
「ということは、松岡さんも?」
「ええ、行きましたよ。一応、インドものとなると気になりますから」
「で、どうでした?」
「ひどいもんでしたよ」
「やっぱり」
 ふたりは、しばらくサイゴンのひどいインド料理についてあれこれ語り合ったのが、話がかみ合わない部分があった。店の位置がまったく違うのだ。ということは、ひどいインド料理を出す店は、少なくとも二軒あるということらしい。