36話 東南アジアのインド料理

 バンコク



  インドには都合3回行った。最後に行ったのは1978年だから、長らく行っていないことになるのだが、なにか特別な理由があるわけではない。「行きたい」 という情熱がまったく湧いてこないだけだ。東南アジアの安楽・平穏・微笑に慣れてしまうと、我田引水・唯我独尊・百戦錬磨・手練手管のインド世界にはどう しても足が遠のいてしまうのだ。
 いまもインドに行きたいとは思わないが、本場のインド料理を食べたいという欲望がときどき顔をのぞかせる。だから、タイにいるときは、バンコクのインド 人街にときどきでかけて行った。インド人が作るインド人のための料理なのだが、何品食べても、私には塩辛いだけでうまくはなかった。食堂で同じテーブルに 座った老人はカシミールの出身だといい、その店の味は母国のものと変らないと言うのだが、私の舌には合わなかった。カシミールには行ったことはないが、で も、こんなにまずいかなあという疑問が残った。客であるインド人がうまいと言うのなら、よそ者の私がどう感じようと関係のない話なのだが、どうもタイ化し たインド料理ではないかという気がする。
 マレーシアでもシンガポールでもインド人街に行った。シンガポールのインド料理はなかなかのもので、私の好みに合った。しかし、うまいインド料理を食べ るためにシンガポールに行くというのは本末転倒で、それならインドに行ってしまったほうがいい、などと考えても、なかなか東南アジア世界を離れられない。
 うまいインド料理は身近なところにあったと気がついたのは、バンコク生活がかなり長くなってからだ。私が間借りしていたのは、三階建ての西洋長屋(タウ ンハウス)の一室だった。その長屋で雑用係をしていたのが、「バブー」と呼ばれるインド人だった。この語は、多分インドのことばで「門番」「守衛」といっ た意味だと思うが、タイ人たちは彼を「バブー」と呼び、彼も自分を「バブーは……」と自称していた。
 知人の話によれば、バブーは1970年代にタイにやって来て、工場で働いた。その工場の社長が不動産業に手を出して、建設したばかりの長屋の雑用係にし たらしい。ただし、給料はないらしい。その長屋にはかなり広い駐車スペースがあったから、昼も夜も駐車場係として働き、客からチップをもらっていた。その ほか、住人から頼まれる雑多な用をこなして、チップをもらっていた。長屋の一軒は、あるレストランチェーンの従業員寮になっていて、そこの庭の軒下に折り 畳みベッドを置き、24時間勤務をしていた。いつもヒマな私は、バブーとときどき世間話をするようになった。訛りの強いタイ語で、しかもいつも口にキンマ の葉を入れてチューインガムのようにかんでいるから、発音がいっそうあいまいだった。
 ある日、家を出ると、いい匂いがした。カレーの香りだ。バブーのもとにインド人が数人やってきて、料理を作っているところだった。吸い込まれるようにバ ブーに近づき、あいさつをして、ガスコンロの前に座り込んだ。鍋にはチキンカレーがもうすぐできるところだった。使ったスパイスをたずねると、トウガラ シ、クミン、ターメリックの3種だけだ。それなのに、出来上がったカレーは感動的にうまかった。チャパティーも手づくりで、焼くのをやらせてもらったが、 均一にうまく焼くのは難しかった。ちょっと油断するとこげてしまい、まわりのインド人を舌打ちさせる結果になった。
 バブーのカレーが「感動的にうまい」と感じたのは、気のせいだろうか。タイ料理に飽きた舌が、新鮮な刺激に反応したのだろうか。
「インドで食べた料理のすべてがうまいとは言わないが、イスラム料理もベジタリアン料理も含めて、じつにうまかったという印象があるけれど、これは幻想かねえ?」
 蔵前仁一さんにそう言うと、「気のせいでしょう」と即座に返事があった。旅費があまりに乏しく、いつも腹を減らしていた若者には、なんでもうまいと感じたのだろうというのが、蔵前さんの考察である。
 まあ、そうかもしれないな。