5話 神田神保町

 聖橋口から


 何年も神田を歩いていると、しだいにその巡回路がだいたい決まってくる。決まりきったコースはおもしろくないので、ときどきコースを変えるものの、立ち寄る本屋はだいたい決まっている。
 JR御茶の水駅の聖橋口を出て、まず三進堂へ。旅の本と外国事情の本が比較的安く売っている。最近では用がなくなったが、外国語の教科書や辞書のいくつ かはここで買った。店主が、いつも「指で貧乏ゆすり」をしているのが気になる。それがどんなものか、行ったことがある人なら皆わかる。でしょ?
 丸善にはほとんど寄らずに、丸善ニコライ堂の間の坂を下っていくと、左手に草古堂。店頭に「ご自由にお持ちください」と書いた札がついたかごが置いて ある。多くの人にはゴミでしかない本も、ある人には宝になる可能性もある。私は、昔の岩波新書を2冊もらったことがある。ここも旅の本が比較的揃っている が、安く売っているために回転が早いから、絶えずチェックしていないといけない。ここでは、旅の本のほか芸能・映画、古いNHKブックス、民族誌、出版関 係書などをチェックする。欲しい本がたくさんあるので、1冊も買わずに店を出ることはあまりない。
 靖国通りに出て、ブックブラザー。1階と地下にある古本屋だ。地下の武内書店は、昔から西洋の雑誌や写真集などを立ち読みしたあと、エッセイと古い旅行 ガイドブックを買ってきた。デザイナーなどには有名な古本屋で、米軍関係者などから仕入れた雑誌も大量に置いてあった。80年代には70年代のガイドブッ クが買えたが、21世紀になってしまうと90年代のものも「古いガイド」になってしまったので、最近は欲しい本がなくなった。英語のアジア料理やアジア旅 行の本もあるが、欲しいものはすでに現地で買っているので、これまた最近はほとんど買わなくなったが、それでも立ち寄りたくなる店だ。1階(中二階の感じ だが)の源喜堂は美術の本が揃っている。私にはほとんど縁のない世界だが、たまに寄るとインドの看板写真集などが見つかる。グレゴリ青山の世界が好きな人 なら、この2店はきっと気に入る。
 駿河台下の交差点に出ると、建築の南洋堂に寄りたくなるが、しばし我慢。欲しい建築の本は多く、値段の高い本が少なくないので、南洋堂に寄ってしまう と、財布がカラになってしまい、古本屋巡りがここでお終いになってしまう可能性が高いからだ。それで、南洋堂をいつも後回しにしてしまうため、時間と経済 的理由で結局は寄らずに帰宅することも珍しくない。
 三省堂の2階で文庫と新書の新刊を買い、1階の旅行書コーナーをチェックしたあと、神保町2丁目の日本特価書籍まで安売り新刊書をチェックしながら歩 く。出たばかりの本が半額で売っていることもあるから、欲しい本があっても一応古本屋をチェックしてからでないと、悔しい思いをすることになるからだ。そ ういう体験を何度もしているから、古本屋歩きは、まずは新刊チェックから始める習慣になっている。
 出たばかりの本が半額で売られる理由はいくつもあるだろうが、雑誌編集部から流出する本もかなりあると思われる。書評や紹介を期待して、新刊書を雑誌編 集部に送るというのは日常ごく普通のことで、販売部数の多い雑誌なら、大量の本がたまることになる。そういう本が、古本屋に流れるのである。私が買った本 に、「乞う 御高評!」などと印刷された紙がはさまっていたことがある。
 日本特価書籍まで来れば、帰路は古本チェックの番だ。矢口、古賀、豊田で映画や音楽・芸能の本をあたり、大雲堂2階の叢文閣でアジアの古書をチェック。 バブルのころは高かった古書も、このごろではそれほど高くもなくなった。私が持っている戦前の本はほとんどここで揃えた。中国を中心にした専門古書店だか ら、格安の掘り出し物というのはないが、適正な値段で興味深い本が手に入る。タイの本屋には、万引き防止のため入り口でバッグを預ける形式の店が少なくな いが、この叢文閣は日本では珍しくその方式を採用している。いい店だが、客の質は良くないということか。
 このほかいくつかの古本屋を巡って東京堂へ。古本屋になかった新刊書を買って、アジア文庫へ。三省堂などで見かけたアジアの最新刊は、「どうせならアジ ア文庫で買おう」と思って後回しにしていると、アジア文庫にはまだ入荷していないということも少なくない。日本最大にして唯一のアジア専門書店も、全書店 のなかでは零細書店に入る経営規模だから、零細書店など相手にしない大出版社の本はなかなか入荷しない。
 まだ時間が早かったら、ミロンガでタンゴを聞きながらコーヒー。時間があまりない場合は、水道橋駅方面に歩きながら、古本屋を覗き、ドトールでコー ヒー。そして、早じまいの町・神田神保町では遅くまでやっている旭屋で仕上げ。南洋堂やキントトに寄れなかったなあと後悔しつつ、電車に乗るのである。