1606話 本で床はまだ抜けないが その14

 関連読書

 

 こんなに長くなるとは思わなかったので、見出しタイトルをつけなかったのだが、内容がひと目でわかるように、今回からタイトルをつける。

 本の情報は、どうやって仕入れたのか。「書店で見かけて」というのが、かつては多かった。

 本屋で見かけた本を、買って読む。おもしろいので、その著者の本や関連書を探す。関連書の情報源は、読んだ本の著者紹介に出ている著作リストや、その本の巻末広告が有用な情報源だ。あるいは、その本の中で紹介している本や、事柄に関する本を探す。「本屋で本を買う」が、コロナ禍ではネット書店で買うとなったが、この方法は十代から現在に至るまで続いている。

 現在は雑誌を読まないので、雑誌の書評やコラムなども当然読んでいない。かつては、「本の雑誌」を定期購読していたが、小説紹介雑誌に近いので、しだいに読まなくなった。新聞の読書欄で取り上げている本で、「読みたいなあ」と思う本は年に数冊ほどで、実際に買うのは1冊あるかどうかだ。

 かつて、「これから出る本」という無料の冊子があったと書いて、念のために調べてみたら、まだ発行しているようだが、新刊書店にあまり行かなくなってから、目にすることはなくなっていた。新刊書店にまったく行かないわけではない。コロナ禍の今は別だが、それ以前は神保町に行けば、新刊書店では三省堂東京堂には必ず行く。東京堂書店の新刊コーナーと、食関連の文庫本コーナーはチェックするが、文庫や新書を除けば、新刊書を買うことは少なくなった。「これから出る本」を詳細にチェックして、手帳に購入予定リストを作ることはもうなくなった。自分が読みたい本を、自分で探すようになったからだ。関心分野が狭くなったが、自分で深く掘り下げるようになったからだ。

 学者が書いた本なら、脚注や巻末に参考文献が出ている。何かの調べものをしていたら、まったく知らない人物か、名前は知っているが経歴をよく知らない人物がでてきて、もっと知りたくなったりすると、すぐにアマゾンでチェックする。だから、本を読んでいるときは、アマゾンの画面を出していることが多い。

 卑近な例をふたつ。

 1960年代の高校生活を書いた「カラスの十代」連載中、同じ時代の大学生活を知りたくなって、『あのころ、早稲田で』(中野翠、文春文庫)を読んだ。読書体験や関心分野に、マルクスエンゲルス吉本隆明埴谷雄高倉橋由美子ゴダール大島渚、「ガロ」といった具合に、「『頭いいだろ』と思わせたい大学生が選びがちな」60年代のイカニモな名前が出てくる。ただ、著者が大好きな音楽が、タイガースとテンプターズというところが、意外な取り合わせだ。本と違って、音楽の知識と趣味で、「どーだ、すごいだろ!」と自慢したり、「知ったかぶり」をする志向はなかったのだろう。

 関連読書のもうひとつの例は、1589話「忘れられた人」で、堀口大學の翻訳を紹介したことがきっかけだ。この詩人の名は知っているが、経歴はまったく知らない。ネットで調べていると、1910年代から外国生活をしていたことがわかり、異文化体験の資料として堀口の伝記のようなものを探したら、聞き書き書があることがわかった。1892(明治25)年生まれで、19世紀の人だから「昔の人」だと思っていたのだが、1981(昭和56)年没だから、現代の人が聞き取りができた。聞き書きをしたのは、関容子。『役者は勘九郎――中村屋三代』など歌舞伎役者の本で、聞き書きの技術の見事さに驚嘆した記憶がある。その人が、堀口大學と対した本なら、読まないといけない。その本、『日本の鶯 堀口大學聞書き』は、角川書店講談社から出ているが、古書店で高額になり、岩波現代文庫に入ったものの、やはり高い(もともとの定価も高いが)。アマゾンで比較的安い文庫を見つけたので、注文したというわけだ。

 このように、おもしろそうな本を芋づる式に探っていくと、書店でおもしろそうな本を探すよりも、歩留まりがいい。こうして、毎日本が増えていく。

 私には、新聞の読書欄は本を買うにはまったく役に立たないが、書籍広告は重宝している。特に文庫と新書は出版点数が多く、しかし、ネットでは調べにくく、新聞の広告をチェックするのが手っ取り早い。

 『プロレス少女伝説』など魅力的は著作を世に出した井田真木子(1956~2001)は、私にとって本のすばらしい紹介者だったという話は320話に書いた。そういう人が、近くにいて欲しい。