20話 文化入浴学試論 2

  中国の銭湯映画とは、「こころの湯」という作品である。1999年の作品で、テレビ番組「大地の子」に出演した朱旭の主演ということで、日本でもそこそこ 話題になった。映画そのものの紹介はしないが、北京の銭湯がどうなっているのか映像でわかるのがありがたい。浴室中央に日本の銭湯と同じような広い浴槽が ある。日本なら壁に水道の蛇口があって、そこが洗い場になるのだが、映画に登場する銭湯では壁にシャワーがついている。体はシャワーで洗うということだ。 マッサージを受けることができるという点を除くと、客がお茶を飲んでくつろいだり、新聞を読んだり、ゲームをしたりというあたりは、落語に出てくる昔の銭 湯に似ている。映画では地元の老人たちの憩いの場という感じだ。その雰囲気は、風呂という要素を別にすれば、老人たちが水パイプでタバコを吸っているアラ ブの喫茶店にも似ている。
 北京に銭湯があることはわかった。しかし、女湯もあるのかどうか気にかけながら映画を見ていたが、どうやらないようだ。銭湯は男だけの世界らしく、その点でもアラブ地域の喫茶店に似ている。
 この映画を見終わって間もない頃、古本屋で『北京の銭湯で』(小宮山猛、朝日新聞社、1989年)という本を見つけた。読んで見ると、北京の話は少な く、銭湯の話はもっと少ない。看板に偽りありという本ではあるが、北京の銭湯について書いた部分を引用してみよう。
「中国語で銭湯のことを『男女浴池』という。といっても、いま日本で人気の『混浴』という意味ではない。手拭いと石鹸を用意して、『浴池』に行くと、日本 の映画館の切符売り場のような入り口があり、そこで料金を払う。個人と大風呂に分かれているが、私はいつも大風呂の方だった。(以下略)」
 この文章からすると、銭湯には男女それぞれの浴室があるのかもしれないと思わせるのだが、どうもはっきりしない。『北京の銭湯で』という本でありながら、その銭湯についてほとんど書いていないのだから、銭湯の実体はわからない。
 最近出版された『ニッポンは面白いか』(選書メチエ編集部編、講談社、2002年)は、日本をよく知る外国人の日本評を集めたエッセイ集だ。そのなかに 「シャワーとお風呂のあいだ」(王勇)というエッセイがおさめられている。日本人と中国人の入浴観の違いについて書いたこの文章で、中国人の入浴事情が少 しわかる。ポイントは2点。当然ながら、広大な中国では地域による差が多く、入浴事情も地域によって違うということ。もう一点は、古くから中国人はあまり 入浴する習慣はなかったようで(もちろん日本人と比べてという意味だが、多くの日本人が毎日のように入浴するようになったのはつい最近のことだと思う)、 その習慣は今でもあまり変わらない。王は杭州の例を次のように書いている。「(大学教授用の新築アパートの)ほとんどの入居者が、浴室に備えつけられてい た湯船を取りはずしてシャワーだけにし、空いたスペースに洗濯機などを置」いていたそうだ。
 アジアの高級アパートも、西洋のものをそのままマネをして、浴室に浴槽も備えているが、浴槽としてはどうもあまり使っていないらしい。
 ヨーロッパで見た半畳ほどの小さな浴槽のようなものも気になっている。あれはたんなるシャワー台なのか、それとも腰湯程度には使うものなのか、知りたい ことはいくらでもある。日本人のブラジル移民は、成功して屋敷を構えられるようになったら、自宅に日本式の風呂を作りたがるのだという話をテレビで見た。 こういう話も含めて、文化入浴学というのも、なかなかにおもしろそうな研究分野である。