17話 旅行記と滞在記


 ポルトガル旅行に際して、ポルトガル関係書を何冊か読んだ。イギリスやフランスに比べれ ば、ポルトガルの本は少ないから現在入手できる本は一応チェックした。そのなかでベストと呼べるおもしろさだったのが、『ポルトガル便り』(植田麻美子、 彩流社、1995年)だった。大学院生時代の留学記で、著者は学部時代にも留学の経験がある。だから、昨今の旅行記や留学記にありがちな、「なにも知らな い若者が旅したハチャメチャ爆笑旅行記」でもないし、学者が書くポルトガル歴史随想でもない。誰が読んでも理解できる内容でありながら、背後に教養の積み 重ねが感じられる。日本に住む友人・知人・恩師への手紙と書き下ろしの文章で構成した本は、楽屋落ちばかりの失敗作になる可能性もあるが、うまくできると その地域の知識がない者でもわかる入門書として成功する。この本は、もちろん後者である。
 それぞれの手紙が、1本のコラムになっていて、ポルトガルの映画や演劇や食べ物の話から、「ポルトガルみやげあれこれ」とか、「私のアマリア・ロドリゲ ス・ベスト10」という話もある。多岐にわたるコラムをつないで、アパートとその大家とのトラブルや授業のもようを書いていく。こういう話は旅行者ではわ からない話なので、興味深かった。
 もちろん歴史にも言及しているが、歴史書を要約したような退屈な話ではない。「一般の人々の意識はいまだに大航海時代の栄光にしがみついている部分があ るのも事実です」と書いて、ポルトガル人とその歴史の関係をわかりやすく書いている。私がこの本に好意をもったのは、無知ゆえの「ポルトガルだ〜いすき女 の子」のラブレターではないからだ。少しは物を見る目があれば、その国の良い所も悪い所も見えてくるのは当然なのだが、そういう両面があることがわからず に、無批判にほめちぎられると宗教の宣伝パンフレットのようで、うんざりするのである。
 帰国して、この本を再読した。やはり、たいしたものだ。この著者の本をもっと読んでみたくてネットで検索すると、『メキシコ万華鏡』(彩流社、1999 年)という本があることがわかった。ポルトガルの専門家がブラジルに行ったというならわかるが、なぜメキシコの本を書いたのだろう。
 その謎は、この本を読んですぐにわかった。著者は留学後結婚し、メキシコ駐在員となった夫とともにメキシコで生活した。その滞在記がこの本である。
 読み始めて数ページで、「これはダメだ」とわかった。企業駐在員夫人が書いたごく普通の滞在記でしかない。有能のコラムニストでもある著者の手にかかれ ば、どこでどんな生活をしようが、それなりにおもしろい話が書けるものだと思っていたが、それはどうやらたんなる理想でしかなかったようだ。
 この本があまりおもしろくない理由は、かつての留学生が駐在員夫人になったからだ。留学生時代は自分ひとりの意思と責任で行動していたが、駐在員夫人と なるとそうはいかない。自分の行動が夫にも影響を与え、それが夫の会社に影響を与え、ひいては日本国外務省にも影響を与える可能性がある。夫は会社の名前 を背負っていて、その会社は現地政府と日本政府と深い結びつきがある。個人の好みとは関係なく、夫も妻も現地日本人社会という狭い社会で暮らさざるを得な いのだ。そういう制約のなかでは、好奇心にまかせた勝手きままな行動は許されない。だから、今まである駐在員夫人の滞在記となんの変わりもない本になって しまった。
 げに、駐在員は恐ろしい。有能な学者兼コラムニストの目と腕を奪ってしまったのだから。