31話 神田神保町 

  中学篇


 初めて神田に足を踏み入れたのは、1965年だった。中学1年生だった。
 同級生に本の好きな男がいて、なにげなく「一度、神田に行ってみたいね」と言ったら、「じゃあ、今度の日曜日に行こうか」ということになった。彼もまだ 行ったことがなかったから、神田に初めて行く田舎者のほとんどがそうであるように、我々もまた国鉄神田駅で下車し、駅の周辺を歩いたが古本屋の一軒も見つ からず、商店で「古本屋街はどこですか?」とたずね、その人は嫌な顔もせず、「あっち」と指さした。
 日曜日の神田古書街があんなに寂しいものだとは知らず、三省堂東京堂を覗いて帰った。何を買ったのか、それとも何も買わなかったのか、まるで覚えていない。
 それ以後は、年に何回かひとりで出かけた。古本屋に行きたかったから、夏休みや春休みなどの平日にでかけることにした。財布には、あまりカネが入ってな かった。小遣いは少なく、地元の本屋で新刊書を買うこともあったから、なかなかカネがたまらなかった。そこで、昼食用にともらった50円をためて、神田遠 征の費用にしていた。あのころ50円あれば、パンが3個か、食パン半斤と2個のコロッケが買えた。当時の岩波文庫には定価が明示されてなく、☆印で示して いた。☆ひとつなら、50円だった。だから、昼飯を一回抜くと、薄い岩波文庫が一冊買えて、それを読むのに数日かかったから、あとの昼飯代は神田買い出し 旅の費用に蓄えられる計画だったが、食欲には極めて弱い体質・気質のため、カネはなかなか貯まらなかった。
 だから、中学時代は年に数回行くだけだった。神田に行っても、店のなかにはほとんど入れなかった。敷居が高かったからであり、勇気をふりしぼって陰気な 店に入れば、やはり陰気で因業そうで神経質そうな店主ににらまれたような気がして、純情な少年は萎縮した。古本屋の店内にあまり足を踏み入れなかったの は、こうした精神的障害もあったが、金銭的障害のほうがはるかに大きかった。
 神田往復の交通費を除いた残金は少なく、目と足はいつも店頭の特価本コーナーばかり探していた。だから、買うのはたいてい文庫か新書だった。考えてみれ ば、高い単行本は地元の本屋で買い、もともと安い文庫や新書を神田まで行って買うというのは変な話なのだが、当時はそんな矛盾には気がつかなかった。本が たくさんある場所を歩くのが楽しかったのだろう。買える本はほとんどなく、図書館と違って自由に読めるわけでもなく、それでも神田古書街を歩いているのは 楽しかった。
 中学生時代に買った本は、すでにのちの進路を暗示する傾向が読み取れる。
『これが世界一だ』(竹内書店)を知っている人は、私と同世代では少ないかもしれない。上下二巻本で出たこの本は、のちの『ギネスブック』だ。世界の雑学 に興味があったのだ。小学館の『世界の旅』シリーズも買っている。買ったのは『ドイツ/スイス』、『北ヨーロッパ』、『エジプト/アフリカ』、『インド/ 西アジア』、『スペイン/ポルトガル』の5冊を買っている。定価は480円で、これは新刊で買っている。神田で買ったとはっきり覚えている『アデウスにっ ぽん』(大槻洋志郎・本間久靖、本田書房)は、若者の南米旅行記。『サンドイッチ・ハイスクール』(植山周一郎、学習研究社)は、アメリカの高校留学記。 そんな本を買って、いつか世界を旅しようと思っていた。