32話 神田神保町

 高校篇


 60年代末から70年代初めが、私の高校時代だ。高校生になると、神田に行く機会が多く なった。小遣いを多少多くもらえるようになったこともあるが、本と映画以外にカネを使わなかったせいでもある。級友たちは、レッドツェペリンだ、サンタナ だとロックのレコードを買っていたり、VANだJUNだと服にカネをかけたり、あるいはオートバイにカネを注いでいたが、私はそんなことに興味はなかっ た。音楽はラジオで聞くだけで充分だった。深夜までラジオを聞いていれば、ジャズもロックも民族音楽だってタダで聞くことができた。
 多分、高校二年生だったと思うが、毎週土曜日の午後は東京のある名画座で映画を見ていた。そのあと神田に出ることもあった。神田では、もうはっきりと外国滞在記や旅行記、あるいは外国の文化に関する本を中心に買っていた。本多勝一の極地もののほかに、こんな本を買った。
『正続 南ベトナム戦争従軍記』(岡村昭彦、岩波新書)、
『ふうらい坊留学記』(ミッキー・安川、カッパブックス)、
ソ連なんでも聞いてみよう』(ノーボスチ通信社、新興出版社)、
『未開民族を探る』(吉田禎・、社会思想社)、
『エジプトないしょばなし』(田中四郎、文藝春秋新社)、
『アフリカの魔法医』(本田一二、毎日新聞社
『アフリカ大陸』(今西錦司筑摩書房
『とらいある・あんど・えらー』(名手孝之、東京中日新聞社
そして、『800日間世界一周』(広瀬俊三)を初めとする白陵社の本を買っていた。
 あの ころの神田の本屋は、はっきりとした記憶ではないが、どこも木造だったのではないか。東京堂はすでにコンクリートのビルだったかもしれないが、記憶はあい まいだ。高校生になると、カネはなくても平気で店内に足を踏み入れる強靭な精神力を身につけて、カビ臭い棚を点検するようになった。よく足を踏み入れる店 と、いつも素通りする店があったが、どちらにしろ店の名前はよく覚えていない。神田古書街を歩き始めてそろそろ40年になろうとしている現在でも、じつは 店名はあいまいなままだ。店の様子で記憶しているから、その名前をいちいち覚える必要はないのだ。店の看板がよく見えるほど顔を上げて本屋巡りをしている 者はいない。路上では、特価本にまず注意するから、視線はいつも下向きなのだ。だから、看板の文字が目に入らない。店の名前を覚える必要などない。
 ある日の土曜日のことだった。私はいつものように映画館に行こうとしたら、友人たちも行きたいと言いだし、映画を見たら、神田の古本屋も見てみたいと言 いだした。そこで案内をしたのだが、あまり興味はなさそうだった。世界一の古書街を見て、「すげーぞ」と驚いて欲しかったのだが、感動するセリフは出てこ なかった。そこで、白山通りと靖国通りの交差点近くにある店に案内した。どういうわけか、その店の名前は覚えていた。芳賀書店だ。
 友人たちは、この店で初めて「すっげー!」と感嘆の声を上げたが、その声があまりに大きかったので、店の人に「高校生がそんな本を見るんじゃありません」と注意されてしまった。