2059話 続・経年変化 その25

読書 1 中高校生時代

 読書と中高生時代の話を始める予定だったが、それは後回しにして、きょうの話をする。

 たった今、フィリピンの勉強会から帰宅したところだ。講師は、フィリピン留学経験もあるジャーナリスト大野拓司さん。とりとめのない話だが、フィリピンの可笑しさ・ユニークさはよくわかった。程度の差はあれ、フィリピンには英語ができる人が日本よりはるかに多くいるのだが、それは幸せかという疑問がある。なまじ英語ができるから、海外出稼ぎ者が多く、一族がその出稼ぎ者に頼り、国家も彼ら彼女らからの仕送りを当てにしている。仕送りが豊富にあれば、政府は殖産興業を考えなくてもいい。役人や政治家が何もしなくても、外国からカネが送られてくるのだからたまらない。出稼ぎの問題点をフィリピン人自身が書いた名作が、『ぼくはいつも隠れていた フィリピン人学生不法就労記』(レイ・ベントェーラ、松本剛史訳、草思社、1993)だ。

 こういう話をする予定ではなかったのだが、会場で野村進さんと会ったので、その話をしておきたくなった。「お会いしてから、もうだいぶたちましたね。あれはいつでしたか・・・」という話になった。1980年代末頃かなと思うがはっきりしない。会のあと、積もりに積もった雑談をしたかったのだが、鄙に住む私は帰宅時刻が迫っているので、「これで、失礼します」と別れてしまった。残念。

 帰宅して、この雑語林で野村さんと会ったときのことを書いているはずと調べたら、519話(2013-08-09)にアップしたコラムだとわかった。野村さんに会ったのは1988年の12月だったから、36年ぶりの再会か。1988年に会ったという記憶が正しければ、その時、吉田敏浩さん31歳、野村進さん32歳、前川36歳だ。

このコラムに、フィリピン関連の本も紹介しているから、読書の話からまるで離れるわけではい。長い枕だと思っていただきたい。

 さて、本題に入る。

 過去を振り返ってみても、読書の話は音楽と違い、経年変化はほとんどない。

 私の読書傾向は10代からほとんど変わっていないのだ。幼児期に絵本を読んだことがない。小中高と年齢を重ねても、日本や世界の名作文学には手を出さなかった。理系の本は読まない。天文学も昆虫学も機械工学も無視していた。哲学も宗教書も読んでいない。あのころは、自己啓発本はそれほどなかったかもしれない。偉人伝は数冊読んだ記憶はある。小学生時代に、考古学者シュリーマンチベットに潜り込んだ河口慧海の伝記を読んだ記憶はある。だからと言って、その後探検記などは読んでいないから、ヘディンも読んでいない。中学生になって色気づいたのだと思うが、人間を寄せ付けない大自然の話よりも、市場や路地にいる人たちの話の方がおもしろそうだった。血も肉も踊らない旅行記や滞在記を探して読むようになった。

 読書分野の主要な柱は次のようになる。

 食文化・・・料理ガイドや名店ガイドは、今も昔も読まない。食生活史と異文化の食事事情が多い。

 言語・出版・・・世界の言語のあれこれ。語源や変遷など。

 旅行・外国事情・・・これもガイドではなく、地誌といえばよいか。外国事情で食生活の本を読んだり、言葉の話を読む。

 芸能・・・音楽、映画、演芸など。

 これが10代の読書だった。中学時代から神田神保町に行くようになるが、そのころはカネなどほとんどなく、昼飯代を貯めて行くくらいだから、せいぜい年に数回行くだけだった。神田に行っても、古本屋の店内に入ることは少なく、本選びは店頭のワゴンから安い本を選んだ。いつも図書館の本を借りていたという記憶はない。

 高校からの話は、次回に続く。