1923話 『世界の食卓から社会が見える』について考える その4

サバ缶

 「世界のサバ缶30種を食べ比べてみた」というコラムがある。「世界のサバ缶」がテーマなら、必ずあるはずのGEISHAブランドのサバ缶の話がない。どうしたわけだ。

 1975年のアムステルダム。いつものように安宿に泊まる貧乏生活をしていた。そのころのアジア人滞在者はほとんど中東出身者で、非欧米人の滞在者は、ほかに北アフリカから来た出稼ぎ労働者や貧乏留学生たちだった。彼らは宿で野菜とパンというささやかな食事をしていた。私はなにかうまくて安い食材はないかと近所のスーパーマーケットに出かけて、GEISHAと大きく書かれた缶詰を見つけた。サバ缶だとすぐにわかった。日本の製品かと思ったが、日本の会社らしき名称はなかったように思う。かすかな記憶では、トマト煮と水煮の2種あったように思う。

 その時代はインターネットで調べ事などできないから、GEISHAブランドの缶詰の正体はまったくわからなかったが、旅行記にはときどきその名を見つけた。日本人は「芸者」に気を取られるのだ。

 今回調べてみれば、ネット情報が豊富にあることがわかった。

そもそもは、コンビーフで有名な野崎産業が、1911年に日本のタラバガニの缶詰をアメリカで販売するときにつけたブランド名がGEISHAで、翌12年に登録商標となり、1929年にミカン缶、30年にツナ缶、1948年にカキ缶といった歴史はこの資料でわかる。野崎産業は、1999年に川鉄商事と合併し、2004年に食品部門が独立して川商フーズとなる。「野崎のコンビーフ」も「GEISHA」ブランドの製品も、現在は川商フーズの製品となる。さらに探せば、より詳しい資料が見つかり、現在は中国やタイで生産して世界に輸出していることがわかる。

 しかし、肝心のサバ缶の情報が出てこない。GEISHAブランドのサバ缶の写真はネットでいくらでも出てくるが、私のかすかな記憶では、アムステルダムで見つけたのはタテ長の缶ではなく、日本のサバ水煮缶のような形だったと思う。タテ長のサバのトマト煮缶を初めて見たのは、タイだ。1980年代だ。友人はタイの農村に招かれて、その家の精いっぱいの歓迎がサバ缶だったという話をしていた。「カネを出して買ったものだから、いつものおかずよりは上等という認識だったんだろうね」と友人は言った。そのサバ缶を雑貨屋で見た。インドネシアやフィリピンの離島でも、非常食として魚の缶詰を常備しているという話を何かで読んだ。魚はすぐ目の前の海にいるが、海はいつも平穏ではないから、非常食が必要なのだ。そういう話を書いていたのは、鶴見良行さんだったか。

 引き続きサバ缶の資料をネットで探していたら、この本の元になった岡根谷さんのブログが見つかった。世界のサバ事情(岡根谷)には、GEISHAブランドの話は出てくる。ブログでは触れていながら、単行本にする時には削ったのだ。おそらく、GEISHAブランドに何の思い出もないからだろう。

 このブログには、タイのサバの話が出てくる。英語の資料を紹介しただけで、岡根谷さんは食べたことがないのかもしれない。「サバ」と紹介しているその魚は、見かけはアジそっくりだから、日本語の記事ではしばしば「アジ」と紹介されてきた魚だが、サバ科。タイ語ではプラー・トゥーという。強い塩水でゆでてから干すので、少し発酵している。フライパンで焼いて食べる。私の好物のひとつで、もちろんタイで人気の魚だが、だんだん高価になっている。