975話 大阪散歩 2017年春 第14回

 スーパーマーケット探検 魚編


 スーパー玉出の魚売り場。魚はすべてパックされているが、もちろんそれが大阪流というわけではない。おお、太刀魚がある。うちの近所のスーパーでは、あまり見ない。あっても切り身にしたものだが、ここ玉出スーパーでは1尾まるごとで売っている。棚の魚を見ていたら、黒い肌の魚が見えた。「おいおい、もしかして・・・」とラベルを見たら、「チカダイ」。日本で見るのは初めてだ。
 私にとってはなじみの魚で、タイではよく食べていた。タイでは、プラーニンという。英語名は、Nile tilapia。ティラピアがピラニアと誤解されそうだということもあって、日本ではチカダイやイズミダイといった名前をつけているが、タイの仲間ではない。淡水魚なのだが、食べた感じはタイの仲間のような味で、なかなかうまい。淡水魚という感じはまったくしない。タイではナマズ類と並んでよく食べられている魚だが、日本ではなぜか人気がないのだが、ここで売っていたのか。
 サシミのコーナーをよく見ると、「サバきずし」がある。「きずし」は関西弁だ。きずしは「生鮨」と書くのだが、すしではない。関東風に言えば、「しめサバ」のように料理したものだ。おもに青身魚を酢でしめたもので、飯はない。サバの隣りに、「サワラきずし」というのもある。魚を変えれば、「〇〇きずし」というようにバリエーションができるのだが、関西以外では。「〇〇を酢でしめたもの」と説明調にするしかない。
 肉売り場の話は別項で書くとして、弁当売り場の商品にちょっと驚いた。ひとり暮らしの味方という品揃えで、とにかく安い。わずかのカネで腹いっぱい食べたいと思ったら、このスーパーに通うのがいいと思った。私は多少のカネは持っているし、大阪まで来て毎日弁当を食べているのは嫌だから、幸か不幸か、ここで弁当を買うことはしなかったが、住むとなれば、貧乏人の味方であることに間違いない。自宅に戻った今は、1度くらいは労働者向け質実剛健大盛り弁当を食べて、味付けなどをチェックしておけばよかったとも思う。
 並んだ弁当の中で、かつ丼に、「あれっ?」と思った。見慣れた姿のかつ丼ではなかったのだ。その結果、それ以後の大阪散歩はかつ丼も調査項目のひとつになった。その話は次回に書く。
 「大阪の魚」といってもその実態はよくわからないが、京阪神の魚といえば、まず思いつくのは「てっちり」などのフグだ。夏になれば、ハモもある。京都の教授に、「そろそろハモがおいしい季節になりましたねえ」と言われたことがあったが、そういう季節感は関西以外の人にはないと思う。関西圏といっても、ハモ愛好地域とどれほど重なるのかもわからない。
 大阪を散歩していて、食堂の料理サンプルや写真を見ていて気がついたのは、サバの塩焼きや味噌煮がメニューに入っていることだ。東京の大衆食堂にもサバはあるが、大阪ではその頻度が東京よりも多いように感じた。これは統計などではなく、あくまでも私の印象でしかない。
 誰が書いていた文章か記憶にないのだが、関西人はサンマに思い入れがないと書いていた人がいた。落語「目黒のサンマ」には上方版はないし、佐藤春夫の詩「秋刀魚の歌」に心を動かされるような感情は、関西人にはないのだと書いていた。新巻鮭が東日本の冬の魚なら、西日本はブリだという違いもある。
 http://www.midnightpress.co.jp/poem/2009/06/post_95.html
 クジラに対する親しみも、関西の方が強い。私は世代的に「クジラがごちそう」、「肉といえばクジラ」という時代を体験してはいるが、クジラの利用という点では、関東は関西に遠く及ばない。関西の圧勝だ。その昔、奈良の山奥に住んでいたころ、近所の食品店で、箱にはいった白くて黒い謎の物体を見たことがある。あれが何だったのわかったのは、食文化の本を読み始めた20代になってからだ。あれは、クジラの皮だったのだ。おでん(関東煮。かんとだき)に入れるコロがこれだった。開高健のエッセイで、大阪ではクジラの舌を「さえずり」と呼ぶと知ったが、コロもさえずりもまだ食べたことがない。