■ベトナムの精進料理
第1章3話と第4章2話で、ベトナムの精進料理の話をしている。ひとつ不満だったのは、ベトナムの食文化のなかで、精進料理がどういう位置にあるのかという解説がないことだ。ベトナムで精進となれば、小魚を原料にしたヌクマムヤ、アミを原料にしたペースト状のマム・ズオックが使えない。タイの精進料理の場合は、動物性のナムプラーは使えないので醤油味(材料は大豆などいろいろ。私が調べたときはマレーシア産の精進調味料を使っていた)になるのだが、ベトナムの精進料理の調味料事情について何も書いてない。ちなみに、韓国の寺で作る精進料理を韓国のテレビが伝えていた。それによれば、トウガラシは使うがニンニクは使えないという。おそらく、ニンニクは精力がつくから「口にしてはまずい」ということだろう。
この本に、ベトナムの仏教と菜食に関する説明が、1か所ある。こういう説明だ。
「ベトナムの仏教と菜食事情を見てみたい。ベトナムは仏教徒の多い国だ。数字の幅はあるが、おおむね8~10パーセントくらいの人が仏教徒とされており、その多くは菜食者だ」というのだが、ベトナムの自称「菜食者」は、「肉を食べない」という人から「月に数回精進料理を食べる」という人まで幅があるという。だから、ベトナムの精進料理と菜食者の関係がはっきりしない。世間の菜食主義者や私の判断基準では、「月2回、精進料理を食べる」という程度の人は、とても「菜食主義者」とは呼べない。
それはさておき、著者は「ベトナムは仏教徒の多い国だ」と書いていながら、全人口の「8~10パーセントくらいの人が仏教徒とされる」と書いている。10パーセントで、「仏教徒が多い国」になるか? 仏教徒はもっと多いはずだと調べてみると、著者が「数字の幅はあるが」と書いた意味がよくわかる。数字の幅がありすぎるのだ。
古い数字だが、1993年の政府資料では、全人口7000万人のうち、仏教徒は1000万人、キリスト教徒(カトリック&プロテスタント)630万人、その他という数字だ。7000万人のうち1000万人ということは、仏教徒は14パーセントということになる。しかし、さらに資料を探すと「80パーセント」という数字もある。つまり、「8~80パーセント」まで数字の幅があるということだ。
そんなことになる理由は、どうやら日本と同じらしい。葬式や法事くらいしか仏教と関りのない人も「仏教徒」とするか、それとも「無信心、無宗教」のグループに入れるかという判断の問題らしい。ベトナムでは、フランスの植民地になった歴史からキリスト教徒が少なくないし、カオダイ教やホアハオ教といった新興宗教の信者も数百万人いる。
したがって、「ベトナムは仏教徒が多い国で、その多くは菜食者だ」という主張は、あまりに幅のある説明だということになる。もちろん、著者はそれがわかっていて書いているのだろうが、「なんか、よくわからんなあ」という読後感だ。
■卓上調味料
第3章2話は、メキシコのアボカドを取り上げているのだが、話の途中で、「話は逸れるが・・・」として、料理の味付けは客任せという話題を取り上げ、こう書いている。
「東南アジアのタイなどでも、卓上には必ず四種類の調味料がセットで置かれており、辛さた塩味を各人が調整する」
こういう記述は、タイ料理が日本で紹介され始めた1980年代から変わらず姿を見せている。トウガラシ、ナンプラー、砂糖、酢漬けの生トウガラシがテーブルにあることを見つけ、「タイ料理は、辛さと塩味と酸味と甘さがが一体となったものだ」などといった解説が、それこそゴマンとあった。こういう調味料セットは、麺料理に対応するものだから、麺を出さない食堂には、この種の調味料セットはない。日本人にわかりやすく例えれば、日本の町中華に行った外国人が、「日本の料理店のテーブルには、醤油と酢とラー油がある。これが日本料理の味の基本だ」と解説しているようなものだ。