1924話 『世界の食卓から社会が見える』について考える その5

日本の野菜は水っぽい?

 第7章1話に、野菜の水分量の話が出てくる。私には、この項がもっとも興味深かった。日本の野菜が「水っぽい」、「薄い」と言われる理由を、気候条件、土壌、栽培方法、品種の観点から検証するというのが、この項の内容だが、長くなるので要約はしない。ここでは私自身の疑問を書いておく。

 野菜料理に関して、私にはふたつの疑問がある。

 ひとつは、「なぜヨーロッパ人は、野菜を親の仇のように長時間煮込むのか?」という疑問だ。私が調べた限りでは、正解はふたつあった。ひとつは、よく煮込まないと食べられないほど、野菜が堅いということだ。

 日本の料理人がヨーロッパで料理を作るというテレビ番組を見た。料理人は市場に行き、試しに野菜をいくつか買ってみた。キャベツをトンカツ用くらい細切りにして食べると、「こりゃ、だめだ!」と言った。とてもじゃないが、堅くて生じゃ食べられないという。のちに、ラトビアの食堂でキャベツの細切り入り焼きそばを食べたのだが、炒めたはずのキャベツがまだゴリゴリだ。クタクタに炒めないと、食べるのに苦労する。

 ヨーロッパのサラダのことを調べていたら、地中海地域を除けば、生で食べられる野菜などほとんどないことがわかった。サラダ(SALAD)の語源は,ラテン語のSal(塩)から来ている。つまり、語源からしても、地中海地域の食べ物だとわかる。

 野菜を生で食べたがるのはアメリカ人で、「サラダは当然生野菜」というイメージはアメリカのもので、戦前は野菜を生でそのまま食べるという発想は、日本にはあまりなかった。そのアメリカのレストランで、メニューに“SALADA”とあり、”raw”(生)か”boiled”(ゆでた)かを選べる。くたくた野菜のサラダなど食べたくないから、「生」を注文したら、ニンジンやブロッコリーやカリフラワーなどを大きくぶった切ったものが皿にのっていて、卓上の塩コショウで食べろというシステムで、「ヨーロッパなら、酢とオリーブオイルもあるのになあと思ったものだ。

 地中海地域以北で、野菜をクラクタになるまで煮るもうひとつの理由は、18世紀だったか19世紀だったかに、「食べ物は消化の良さが最重要」という信仰にも似た考えがあった。別の言い方をすれば、「消化不良は万病のもと」に近い考えがあったから、食材を徹底的に煮込むようになったようだ。

 野菜に関する私のもうひとつの疑問な、まさに水っぽさだ。

 ある食文化研究会だった。植物学者だったか農業学者だったかが、日本の野菜について解説した。そのなかに、こんな話があった。

 「日本の野菜は水っぽいから、漬け物に石が必要なんです。外国では塩だけで水分が出ます」

 考えてみれば、韓国の漬け物も甕に野菜や調味液を入れるだけで、石はいらない。韓国で、白菜キムチをどうやって作るのかという動画を見ても、白菜を濃い塩水につけるか塩をまぶすだけで、漬物石は使っていない。

 現在の日本の野菜は,やわらかく水っぽいが、江戸時代でも同じだったというわけではないだろう。野菜は、堅いかえぐいものだっただろう。それがいかにしてやわらかくなったかは、充分な考察が必要だろう。日本の野菜は、いつから水っぽくなったのか、だ。

 食文化の本と言えば、フードライターが書いた『食べる世界地図』(ミーナ・ホラント著、清水由貴子訳、エクスナレッジ、2015)が古本屋で安売りされていたので、買ったみた。試しに「タイ」の項を読むと、タイ人とコメの話が出てくる。「もち米がタイ中部、北部、北東部で常食されている」などと書いてある。293ページの「米」というコラムでは、「東アジアの主食であるもち米や・・・」などと書いていて、それ以上読み進める気が失せた。タイ中部はうるち米を常食する地域だし、東アジアでもち米を主食にしている地域はない。。

 この話題は、今回で終わり。