食べる話 その4 サラダ
どこの国のカフェテリアに行っても、サラダが目につく。サラダだけの食事をしている女性を見かけるのも珍しくない。ジャガイモやパンが入っているサラダだと、私もそれだけで昼飯にすることがある。ちなみに、いままでヨーロッパのいくつもの国でポテトサラダを食べたが、日本のポテトサラダの認識におさまる味だった。それは、マヨネーズの味が大きくは変わらないということだと思う。しかし、日本以外のアジアのマヨネーズは、酸味を嫌っているようで甘い。もちろんタイのマヨネーズも極甘で、「日本マヨネーズ」と表記してあるものを買わないと、カスタードクリームのようなマヨネーズを口にすることになる。
ヨーロッパの北国でサラダを見かけると、「サラダなんて、つい最近食べるようになったんだろうな」と思う。トマト、レタス、キュウリなど、生で食べられる野菜なんて、ソビエトから解放されるまでなかったんじゃないかという気がする。
ヨーロッパの料理を調べていると、家庭料理というのは、肉も野菜も、徹底的に煮込むものだと考えているらしいと思えてくる。肉はともかく、野菜を徹底的に、親の仇のように煮込むのには、いくつかの理由がある。『中世の食卓から』(石井美樹子、ちくま文庫、1997)など、ヨーロッパの食文化について書いたいくつかの文献を利用して、そのあたりのことを書いてみよう。
■野菜がかたい・・・リーガで野菜の炒め物を食べた。トンカツのキャベツにように細切りにしたキャベツが入っていたのだが、これがかたくて食えない。ちょっと前に、日本の料理人がヨーロッパで料理をするというテレビ番組があった。料理人は、市場で買ってきたキャベツを切りながら、「こんなもの、かたくて生じゃ食えない!」と言っていたのを思い出した。そうなんだ。キャベツはクタクタに煮込まないと食えないのだ。
■そもそも、生で食える野菜が少ない・・・『中世の食卓から』には、リチャード二世(1367~1400)時代のサラダに使った野菜をリストにしている。パセリ、セージ、ガーリック、エシャロット、タマネギ、ニラネギ、ルリチシャ、ミント・・・というリストを見ていると、野菜というよりハーブと呼びたくなる植物だ。ヨーロッパでは、生で食べられる野菜があったのは地中海沿岸あたりだけで、だからラテン語のsal(塩)がsaladの語源になっている。塩を振りかけるだけで食べる野菜料理は南ヨーロッパのものだ。
■煮込むことこそ、料理・・・ヨーロッパの広い地域では、「煮込むことが、料理」と考えられていた。cookはそもそも、「煮込む、加熱する」という意味だから、生の野菜を食べるサラダは料理には入らない。だから、寒いヨーロッパに住む人たちは、地中海沿岸に住む人たちを「料理をしていないものを食べている」と見下していた。ちょっと前まで、ヨーロッパ人は「料理(cook)をしない」から、刺身やすしを「料理ではない」とバカにしていたのだ。
■サラダはアメリカの影響・・・日本でも、アメリカの影響で生野菜を食べるようになった。元共産圏でも同様だろう。
■キュウリのサンドイッチ・・・といえばイギリスの名物。たかがキュウリのサンドイッチかと日本人は思うが、イギリスでは寒すぎてキュウリは露地栽培できなかった。温室栽培する野菜だから、キュウリは高級品として珍重されたということだ。トマトにしても、それが栽培できない地域に住む人たちにとって、「あこがれの赤い野菜」なのだろう。サラダは、輸入野菜をたっぷり使ったぜいたく料理であり、同時に健康食というイメージにもなった。スペインやイタリアの料理が絶賛された理由の一つは、鮮やかな赤、あこがれのトマトを多く使った料理だったからではないかと想像している。
エストニアのタリンのカフェテリアのサラダコーナー。この地域で、生野菜がこれほどあるのは、ここ十数年のことだろうか。
ワルシャワのある昼時、空腹に耐えきれず、公園の中の高級レストランい入った。公園の外にもレストランがないから、いたしかたない。メニューを見ると、1品が100ズウォティ(2800円)は超える。フルコースで1万円という店だ。「カードがあるから、ステーキでも食ってやるか」と思いメニューを見ると「360グラム」などと書いてある。そんな大きなステーキは食えない。隣りの席でサラダを食べている客がいて、「パンもあるなら、サラダだけでいいな」と思い、若鶏のローストサラダを注文。飲み物は水だが、これも高い。空腹だと思っていたが、このサラダ(うまかった)とパンで満腹する程度の空腹なのだ。この日の昼めし、水とサラダで、64ズウォティ(約1800円)。
今回の旅の最後の夕飯(これでも、午後20時)は、前菜とサラダ。変な組み合わせだが、食いたかったのだ。ずっしり思い黒パンに紅茶も注文した。場所は、リーガ駅前広場。
ニシンの酢漬けにポテトサラダ、ニョッキ。
そして鶏肉とロメインレタスのサラダ。目は「食べたい」と言っているが、このサラダだけで満腹。ふたり分注文してしまったようで、罪悪感にさいなまれた。多いことがわかっていて注文したのではなく、写真付きメニューの料理はもっと少なかったのに、テーブルに運ばれてきた料理は写真よりもかなり多かったから文句が言える筋合いではない。
この日の夕食は、この旅での最高額の17.60ユーロ(約2200円)だった。