フランス料理
20年ほど前のことだ。高校時代の同級生がパリで旅行社に勤めているということで、彼のアレンジでフランスとスペインの旅行をしようと級友たちが団体旅行を企画した。私にも案内が来たが、もちろん断った。団体旅行をする気はない。ただし、この旅行にたった1点に興味はあった。級友のひとり、シゲちゃんは夏は枝豆、刺身、冷ややっこにビールがあれば、毎日でも楽しく暮らせるというヤツだから、フランスの食事はすぐに音を上げることはわかっているが、ほかのメンバーはどうかという点に興味があった。異文化衝突が私の関心事だ。
高校同窓生旅行を終えて数か月たち、旅行をアレンジしたパリの友人が久しぶりに日本に来るというので、歓迎の宴が企画された。宴会は嫌いだが、級友たちのヨーロッパ・カルチャーショック話が聞きたくて、宴会に出た。
ひととおりのあいさつ代わりの雑談が終わると、私が取材のようなことをした。シゲちゃんは、もう、初めっから西洋料理を受けつけないので苦しかったという。
「じゃあ、みんなに聞きたいけど、今度の旅行で、『これはうまかった』というのは何だった?」
「あっ、うまいの、あったな。パリでさあ、食った、ラーメン! あれは、うまかった」
シゲちゃんが言う。まあそうだろうが、ほかのみんなはどうだったのか。ほかの席から声が聞こえた。
「ああ、あれはうまかった」
「ホント、おいしかったわね。それと、バスの中で食べたおせんべい。誰が持ってきたのか知らないけど、あのおせんべいは相当なものよ」
「ああ、そうそう」と煎餅絶賛の声多数。
おいおい、ヨーロッパ旅行の話だぜ。我々の親の世代の話じゃなくて、50代になったばかりの我々の世代はこんなものか。
シゲちゃんがちょっと説明した。パリの旅行社社員ウエノは、その親切心と知識とコネを使って、「これぞ、フランス料理」というメニューを選び、店を選び、予約した。予約が取りにくいレストランも、職業柄簡単に予約が取れる。かの「トゥール・ダルジャン」も入っていたらしいが、「おれは、焼き鳥屋の方がずっといいな」とシゲちゃん。日本人団体客にとっては、旅行社社員の活躍と親切心がアダとなった。
「毎食、肉とミルクと生クリームとバターとチーズだろ、たまんないよ。だから、ラーメン食いに行ったんだよ」
肉と言っても子羊料理ではなく、焼肉だったら大歓迎なんだろうが、バターたっぷりのソースはつらい。つまり、乳(ちち)臭さにやられたのだ。
団体旅行参加者はシゲちゃんのあと、順次「シゲちゃん化」していき、最終日近くなったら、全員が「あっさりした日本料理を!」という食欲事情になったという。女性参加者は食への好奇心が持続すると想像したが、1週間以上のフランス料理は苦痛だったようだ。
同世代の私ならどうかと考えた。1週間や10日なら「うまい、うまい」と食べていると思うが、それがひと月たってもそう言えるかどうかは怪しい。フランス料理に対する強い好奇心がないからでもある。「すし食わせろ!」とは言わないが、「フルコースディナーより、パストラミとピクルスのサンドイッチとコーヒーの方がいいな」とは言いそうだ。
ちなみに、幕末にヨーロッパに渡った武士たちの食文化ショックを描いたエッセイ『拙者は食えん! サムライ洋食事め』(熊田忠雄、新潮社、2011)は傑作&名作なのだが、武士は皆西洋料理煮ヘキヘキして「醤油か死か!」などと叫んだ記録はなく、ヨーロッパに向かう洋上の食事では苦闘していたようだが、ヨーロッパに着いたら覚悟を決めたのか、食事は意外になじんでいる。
日本人の胃袋には濃厚なフランス料理、別の言い方をすれば古い時代のフランス料理は、胃袋に重くて、つらいのだ。バターソースを作るところを見れば、「どれだけバターを放り込むんだ!」とびっくりするほどのバターの量だ。スペイン南部ならバターはあまり使わないが、オリーブオイルは食材が風呂に入ってるほどに使う。最初の頃は、「スペイン料理って、おいしい」などと言っていた人も、油を次第に拒絶するようになる。「お茶づけときゅうりの古漬けが食いたい」などと言いだすのだ。それが悪いとか恥ずかしいなどと言っているわけではもちろんない。日本人の食生活と油の関係を考えたということだ。バターなど動物性油脂はダメだが、植物性油ならいいのかという話は、次回。