2010話 料理の油 その4 

中国料理

 

 池袋で友人と会った。「まずは、飯を食うか」ということになり、友人が「ちょっとおもしろい店だよ」という店に案内された。その友人も、ちょっと前に知人に教えてもらったという。

 池袋の、とくに北口方面はチャイナタウンと呼ばれている。横浜のように古い時代に中国南部からやってきて住み着いた地域ではなく、ここ数十年の間に上海以北からやって来た中国人が作り上げた街だ。だから、日本人が慣れ親しんだ広東料理ではないことは想像できるが、そのときはまだこの地で食べたことはなかった。

 友人が案内した店はビルの地下で、照明が暗いということだけでも、日本のどこにでもある中国料理店とは違う。客も店員も、たぶん全員中国人だ。メニューを見る。中国語の料理名はある程度わかるから、適当に注文してみた。何を注文したかあまり覚えていないが、魚香茄子(ユイシャンチェズ)を注文したのは覚えている。わかりやすく言えば、麻婆茄子のような姿の料理だ。どうしてこの料理を覚えていたかというと、丼のような器に入れてテーブルに出てきたその料理の上1センチ以上は油なのである。油の海に沈んでいる料理なのだ。なるほど、日本人の客など相手にしていない料理だ。味は、まずかった。味付けも、日本人の好みなど無視している「本場そのまま」なのだろう。本場中国の味に親しんでいない私の口に合わないのは当然で、その店の料理を非難しているわけではない。タイ料理なら事情は逆で、「本場タイ」の味に慣れている私の舌は、日本人向けにアレンジされたタイ料理は口に合わない。そういうことだ。

 その昔、中国旅行記のなかに、日本人留学生たちと出会って食事をするシーンがあって、そこで交わされた会話は「やっぱり、中国料理は日本がいちばん。ラーメンと餃子とか、野菜炒め定食を食いたいね」というものだった。つい先日も、中国旅行をした人たちの会話に、この「中国料理は日本がいちばん」というセリフがあって、やはり変わらないのだなあと思った。中国料理の場合は、「本場そのまま」は客を呼び込むキャッチフレーズにはならないのだ。ただし、日本人の舌にも慣れている広東料理なら、本場そのままでもある程度は受け入れられると思う。

 日本人が苦手な「本場の味」はいろいろあるが、ひとつは油の量であり、もうひとつは五香粉などが入った「漢方薬臭さ」であり、最近ではこれに、中国北部のクミンを使った羊料理も加わるかもしれない。

 地域にもよるが、中国人にとって油は調味料なのである。「炒めるときに焦げ付かないように油を少し」というのが日本式中国料理なのだが、中国人のとっては、香辛料や肉や魚のエキスがしみ出した油も「うまい」のだ。

 銀座の中国料理店で料理修行をしていたときの話だ。料理長は香港でも修業したことがある台湾人だが、店の料理は当然ながら日本人の好みに合うようにしていた。日本に来た当初は、日本人コックに「油が多い!」などと注意されて不満顔だったが、すぐに日本式に修正した。客に出す料理は日本人向けだが、自分が食べる料理は当たり前だが好きなように作る。台湾人の常識で、周りの人にもその料理を「食べる?」と勧めるのだが、「油が強すぎる」と日本人コックは嫌っていた。ただひとり、コックになる前に香港や台湾でさんざんメシを食ってきた私は、「おしいいねえ」と感動の声を上げる。料理長は喜んで、私の分も作ってくれた。料理長が見習いにまかない飯を作ってくれるのだ。こんな幸せな食事はない。

 コック時代を思い出していたら、油関連で鶏油のことが頭に浮かんだ。その話は長くなるので、次回に回す。