2011話 料理の油 その5

鶏油(チーユ)

 

 銀座の中国料理店で、ニワトリの脂身から油を取り出すのがコックの見習いをしている私の仕事だった。ニワトリの皮や脂を鍋に入れて、弱火でコトコト加熱すれば出来上がりだろうと甘く考えていたのだが、ちょっとしたテクニックが必要だった。弱火でも、そのまま加熱すれば、こげる。こがすと匂いがつくし、色も悪い。

 先輩が加熱法を教えてくれた。鍋に5キロほどの脂身を入れ、しょうがの薄切りとネギの緑の部分を入れる。そして、水をそそぐ。量は適当だが、鍋物の水よりはかなり少ない。これで、焦げ付きにくくなる。弱火で加熱し続けると、しみ出してきた油に脂身が浮いている状態になり、煮物が揚げ物に変わったとわかる。かきましながら、弱火でそのまま加熱して、「もう、これくらいで充分油を取り出しただろう」と思えば、できあがり。油を容器に移して、油カスは捨てる。それが先輩の教えだが、料理長は「捨てるな!」と命じる。

 「あんな脂身を食うのかよ」日本人コックはバカにしていたが、店では絶対に食べられない料理に姿を変えるという予感があって、私は調理長の行動を見守った。

 トリの揚げカスを穴あきしゃくしザーレンにのせ、湯を感度もかけて、おたまの背で何度も押して、油を落とす。その後、熱した鍋に入れて、ネギやショウガを加えて炒める。

 出来上がった料理を皿に盛り、「食べる?」とコックたちに声をかけるが、「はいはい、食べます!」とうれしい声を上げるのは私だけで、調理長と向かい合ってまかないの食事をとる。豚の内臓などを自分用に注文して料理して、「前川、食べる?」と声をかけてくれる。日本人客のことなどいっさい考えない料理長の料理は、店のいつもの料理とは違い油が多く、自分専用の引き出しに入れてある各種香辛料を加えて作るから、店で出す料理とはまったく違う。自分のために作る料理だから、日本人コックから注意を受けることはない。

 トリの油カス料理はおいしかったので、次に鶏油を仕込むときに、私も料理長のマネをして再現してみた。料理長との食事の場にその料理を出したら、ほんの少し口に入れて、顔をしかめ、我が料理をザーレンにあけ、湯をかけて洗い、料理をし直した。格段にうまくなった。私は油の抜き方が不十分だったのだ。油を使うが、油っぽいというのはまずいのだ。

 また思い出した。店のまかないで冷やっこが出ると、日本人コックはネギとショウガで普通に食べるのだが、料理長は豆腐の上にネギとショウガをのせ、その上から熱した油を注ぎ、醤油をかけて食べていた。

 店で使っていた油は、大豆白絞油(だいずしらしめゆ)だ。今、調べていて、白絞油はもともとは菜種油を精製したものをさしていたようだが、その後原料が大豆でもトウモロコシでも白絞油の名称を使うようだ。白絞油のほか、ゴマ油と鶏油を使っていた。豚の油ラードは使っていなかった。炒め物や揚げ物にラードを使うとラーメン屋の風味になる。高級料理店では、料理は軽さが重要視されていたから、ずっしり重いラードは合わないとされていた。ちなみに、今「ラーメン屋」という言葉を使ったが、この語はこの30年ほどで意味が変わった。その昔、「ラーメン屋」と呼んでいた店は、今は「街中華」と言わないと、ラーメン専門店だと誤解されそうだ。そのラーメン専門店で、丼に浮かぶ油としてよく使われているのが鶏油だと、ネット情報で知った。

 ミニ情報:家庭で街中華に近い味を出そうと思うなら、ラードと味の素を使うことだ。火力は工夫次第で何とかなる。もう少し「店の味」風にするなら、油通しというテクニックを使うことだが、慣れないとメンドーでしょう。