344話 NHKブックスが輝いていた時代    2/2

 引き続き、NHKブックス既刊のなかから、私の記憶に残っている本のリストを書いていく。
『スワヒリの世界にて』(和崎洋一、1977)・・・詳しい内容はなにひとつ覚えていないが、ワクワクしながら読んだ記憶ははっきりとある。
『稲の道』(渡部忠世、1977)・・・時に応じて、何度も読み直している。タイでは、スコータイ王朝時代のスコータイ周辺では、現在のインディカではなくジャポニカ米を食べていたといった事実に驚いて、付箋をつけながら読んだ。
『スンダ生活誌』(村井吉敬、1978)・・・のちにバナナやエビなどの本を出す村井氏の単行本第1作で、私はこれがベストだと思っている。インドネシアに初めてやって来た若き学徒は、まだ理屈でアジアを考えるようになっていない。日々の出来事におろおろと対応している文章が、興味深い。
『竹と日本人』(上田弘一郎、1979)
『アラビア・ノート』(片倉ともこ、1979)
『中国民族誌』(周達生、1980)・・・表紙に赤い線が入っていたのを覚えている。それがカラー版の印だったような気がするが、ウチのどこかにある現物を探して確認する気はない。
『日本人の海外不適応』(稲村博、1980)
ワルシャワ物語』(工藤幸雄、1980)・・・『共産圏で楽しく暮らす方法』(J.フェドローヴィッチとの共著、新潮社)がおもしろかったので、『ワルシャワの七年』(新潮社)とともに、このNHKブックスを読んだ。文章がおもしろければ、どこの土地を舞台にした作品でも読みたくなるという実例だ。
『お茶のきた道』(守屋毅、1981)・・・守屋氏の著作とは、のちにエドワード・E・モース関連の本で再会することになる。
照葉樹林文化の道』(佐々木高明、1982)・・・70〜80年代には「照葉樹林文化」がブームでした。中公新書の関連書も一応、読んだ。
『しぐさの世界』(野村雅一、1983)・・・83年にナイロビの古本屋で、デズモンド・モリスの“Gestures ”(1979、日本語版はちくま学芸文庫『ジェスチュア』)を見つけ、読んでみたらおもしろく、帰国してから類書であるこの本を読んだのだろう。
『東南アジア学への招待 』上下(矢野暢、1983)
『東南アジア世界の構図』(矢野暢1984
『「脱亜」の明治維新』(田中彰一、1984
『不思議のフィリピン』(中川剛、1986)
『南の国の古寺巡礼』(千原大五郎、1986)
『国際化の意味』(矢野暢、1986)
『果物と日本人』(小林章、1986)
『アジア稲作文化への旅』(渡部忠世、1987)
『サヘルに暮らす』(小川了、1987)
マングローブに生きる』(高谷好一、1988)
『トルコの人々』(松原正毅、1988)
『海人の民族学』(秋道智也、1988)
『雑穀の来た道』(阪本寧男、1988)
 1980年代後半ごろから、おもしろい本があまり出版されなくなり、90年代以降は、ほとんど買わなくなった。『虫食む人々の暮らし』(野中健一、2007)は、この時期の例外的な名作だった。
 おもしろくなくなったのは、NHK出版の編集者たちの責任だろうと、つい先日まで思っていたのだが、どうやらそれは私の誤解らしい。
 ある文化人類学者と、文化人類学について話していたら、NHKブックスがつまらなくなった理由のヒントがつかめた。
 1980年代に入って、文化人類学は「帝国主義の手先」とか「カネを持った国から貧乏な国に来て、調査している傲慢な学問」といった批判を浴びた結果、フィールドワークで得た情報を書く民族誌をやめて、「○○性社会」とか「○○型社会」だのといった理屈をこねる論文が興隆し、日本では、西洋人がこねくり回した理屈の引用を繰り返した論文が高く評価されるようになった。かつてこの「アジア雑語林」で、「ヤシ殻の椀を出ろ」(282〜285話)という文章を書いたが、ヤシ殻の椀のなかでじっとしている(自分の専門領域をできるだけ狭くして、そこから出ない)研究者を批判したが、現実は、ヤシ殻椀を出ない学者が書いた論文のほうが、論文を審査する老教授連中の受けがいいらしい。大学で職を得たい若き研究者は、私がおもしろがるような論文を書いてはいけない。十年一日のごとく、フーコーなどを引用しているような、誰が読んでおもしろくない論文を書かないと学者世界では評価されないらしい。
 私がNHKブックスを楽しんで読んでいた時代は、学者がおおらかに、のびのびと、あるいは批判的な人に言わせれば「能天気に」、民族誌を書いていた時代だったという歴史的背景がわかって来た。NHKブックスが私好みではなくなったのは、NHK出版の責任ではなく、文化人類学など学問側の責任だったというわけだ。