345話 お昼寝の音楽

 ラジオから流れてきたあの音楽を聞いて、数十年前のことを思い出した。
 あの時も、ラジオから流れてきた音楽を聴いていて、「ああ、これ。これだったよなあ」と気がついたことを思い出したのだ。幼稚園のときの、お昼寝の音楽だ。音楽が終わり、ラジオのアナウンサーが告げた曲名は、サンサーンス組曲「動物の謝肉祭」の第13曲「白鳥」だった。
 夏の幼稚園では、板の間にただごろ寝する「お昼寝の時間」というものがあって、冷たい板の間の気持ち良さと共に、夏のけだるい時間の心地よさをよく覚えている。あのとき流れていた音楽が気になったのは、ずっとあとのことだ。気になっていても調べるすべもなく、ただ時間が流れていいくだけだったのだが、あのときのラジオの放送で、長年の胸につかえていたものが消えて、すっきりした。
 ところが、それからしばらくして、やはりラジオから流れてきた曲に、「あれ、もしかして、これだったかもしれないな」という疑問がわいた。しかし、曲名がわからず、そのまままた数年が過ぎ、テレビの音楽番組で、疑惑の音楽を聴き、曲名がわかった。「タイスの瞑想曲」だ。それ以来いままで、タイスは作曲家の名前だと思っていたのだが、じつは違うのだと、たった今、知った。正解はこういうことだ。ジュール・マスネ(1842〜1912)が作曲したオペラ「タイス」の間奏曲が、「タイスの瞑想曲」と呼ばれている曲だったのだ。
 お昼寝の音楽は、「白鳥」なのか「瞑想曲」か、どちらが正しいのか、あるいは2曲とも不正解なのか、今となっては誰も解答を知らない。おそらく「白鳥」が、8割の自信で「正解」だと思うのだが、確認のしようがない。曲名とは別に、お昼寝の時間の音楽のことを考えていて、愕然とした。SP時代なのだ。あ〜、SPなんて、おじいちゃんの時代と思っていたのに、私の時代でもあったのだ。まあ、私と同世代で、すでにおじいちゃんはいくらでもいるだろうから、おじいちゃんの時代の話なのだが。
 日本でLPレコードが初めて発売されたのは1951年らしい。しかし、一般的には、50年代はまだSPの時代だろう。1950年代後半の、奈良の山奥の幼稚園が最新式のオーディオ設備を導入するわけもなく、高価なLPレコードなど買えるわけもなく、鼻をたらした幼稚園児は、厚く重いSPレコードから流れる西洋音楽を聴きながら、お昼寝をしていたのだ。
 幼稚園は村の小学校と同じ敷地にあり、その小学校では手回し式の蓄音機を使っていた。まだ、ポータブル・レコード・プレーヤーというものはない時代だが、手回し式蓄音機なら、電源の無い校庭に持ち出して使うこともできたから、それはそれで便利だった。
 小学校や中学校で聴いた音楽は、その後に大体の正体はわかった。ドボルザーク交響曲第9番「新世界より」は、音楽の時間に聴いたのが先か、それとも下校の音楽として聴いたのが先か、どちらが先かわからないが、とにかく、よく覚えている。だから、純粋に鑑賞音楽として、「新世界より」が聴けないのだ。
 フォークソングの音楽は、今聴くと、陰々滅滅、うんざりした気分になるのだが、「マイム・マイム」がイスラエルの開拓の音楽だと知って、ますます気が重くなる。当時はまったく気がつかなかったが、フォークダンスアメリカの文化政策だったんだよなあ。
 この文章を書いていて気がついたのだが、幼稚園児時代には、もちろん我が家にテレビはない。テレビ放送は1953年から始まっているが、田舎の貧乏人にはそんなものは関係ない。ラジオはあったが、幼稚園児は、自分で番組を選んだりしない。父は機械が好きだから、自分でラジオを組み立てたが、母も父もゆっくりラジオを聴く時間などなく、いつもラジオから音が流れ出ていたという記憶はない。
 ということは、夏に毎日耳にしていたお昼寝の音楽は、当時の私の音楽生活のなかで、特別な時間だったということがわかる。自分で歌う以外、ほかに音楽がなかったのだ。人工的な音声も、身近にはあまりなかったのだ。