もうそろそろ、カセットテープを捨てようかと考え始めた。
タイ音楽とタイ人について本を書いてみたくなったのは、1990年代初めごろだっただろうか。一般的に、音楽の本は、音楽を送り出す側の事情を調べて書くものだ。ミュージシャンとかプロデューサーや作詞・作曲者やラジオDJなどにインタビューして書き上げた本が多いが、私は音楽を聞いているタイ人に興味があった。だから、音楽ライターが書くような本は、初めから書く気はなかった。屋台で飯を食っている人たちや、タクシーやバスの運転手たちがいままで聞いてきた、タイ人たちの音楽の歴史のあらましを知りたくなったのだ。今現在のヒット曲の話ではなく、タイに西洋音楽が入ってきた時代から現在までの音楽事情も知りたかった。考えてみれば食文化に関しても同じで、私は調理法や料理人や料理店にはほとんど興味がない。料理を食べてきた人の歩みの方に興味がある。
タイの音楽の歴史や全貌を知りたいのだが、私はそもそも音楽の基礎知識もなければ、タイの音楽事情についてもまったく知らなかった。知識のうえでは、日本にいるおおぜいのライターとほとんど変わりはないのだ。そのころ、1990年代初めのバンコク生活では、ラジオもテレビも持っていなかったが、音楽は毎日耳にしていた。1990年代のタイは、街に音楽があふれている時代だった。
タイ音楽の本を書くために、まずラジカセを買い、カセットテープを買い集めた。タイの場合、レコードからカセットテープに変わっていくのは、1980年代あたりからだ。日本では1982年からレコードからしだいにCDに変わっていくのだが、タイなどアジア諸国では、レコードの後はカセットテープの時代になる。家庭用でも自動車用でも、ラジカセの普及で、カセットテープが急激に普及した。ラジカセがあれば、電気が来ていない村でも、ラジオが聞ける、テープで音楽が聴ける。トランジスターラジオの普及で、電気が来ていない農山村にも都会の音楽が入り始めた。地域にもよるが、1970年代まではラジオの時代、80年代からはカセットテープの音楽も村に入って来た。
ラジカセの影響で、街のどこからでも音楽が流れ出していた。路上にはテープ屋がいくらでもあり、「これが、今売れているよ!」という販売強化商品をよく流していた。だから、街を散歩していれば、路地でも屋台でもバスの中でも、音楽をよく耳にして、そのうち聞き覚えのある歌もでてきたが、歌手名や曲名などもちろん知らない。それだけの音楽体験で、タイ音楽とタイ人の物語を書こうと決めたのだから、無謀としか言えない。
知識がないのだから、とにかく音楽を聞いてみることにした。カセット屋に行って、適当にテープを買った。「適当に」といっても、「でたらめに」ではない。日本のレコードやCDジャケットも同様だが、じっくり見つめると、演歌だろうとか、おしゃれなグループだろうとか、アイドルポップだろうといった予想はつく。だから、いくつか見つくろって買い、部屋に帰ってじっくりと聞き、メモを書いてカセットに挟んだ。少しはタイ文字を読めるようになったから、歌手名も覚えた。タイ人との会話で、いくつかあるジャンルも覚えた。こういう歌い方は、このジャンルだなといったことがしだいにわかるようになってきた。
こうして、数年かけておよそ1500本のカセットテープを買っていった。ある日は、カセットテープの問屋に行き、50本ほどまとめて買ったら、「どこで商売しているんだい?」と聞かれたことがある。すでに30本ほど買った後だったから、私を小売り業者だと思ったらしい。段ボール箱にヒモをつけたのが買い物かごなのだから、誤解されたのも無理はない。
1990年代後半ころから、カセットテープはCDに変わり始めた。我が家のカセットテープをMDに移し替えようかと思ったが、面倒だからやめた。どうしても長期保存したい音源はCD化されたものを買えばいいやと思っているうちに、音楽は見るものに変わってしまった。CDが消え、VCDやDVDになっていったのだ。かつて、ラオスでもカセットテープを大量に買ったのだが、数年前に再訪したら、CDさえなかった。コンサートDVDしかない。音楽は見るものなのだ。
新宿にあるタイ音楽専門店サワディショップのHPを見たら、レコード会社RSがCD生産をやめたとか、タイに行けば必ず寄っていたCD問屋BKPが閉鎖したといったニュースが出ていて、「ああ、そうだった。この前行ったら、BKPの店がなかったよなあ」と思い出した。世界的な傾向なのだが、「見える音源」がなくなっていく。
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