1341話 スケッチ バルト三国+ポーランド 60回

 ラトビアと音楽

 

 リーガの休日、公園で民族ダンスの発表会をやっていて、じっと音楽に耳を澄ましたのだが、それほどおもしろい音ではない。

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 魅力的な音楽が流れてくるかと期待して待っていたのだが、残念ながら・・・。

 

 今回の旅も、アエロフロート利用だから、機内で映画は楽しめない。ロシア語吹き替えはいやだ。そこで、ウォークマンに落語をたっぷり入れておいた。我がウォークマンにはFMラジオを聞くことができるので、リーガの夜はラジオを聞いていた。当然ながら、ラトビアのラジオだからといって、ラトビアの音楽だけを流しているわけではない。1960年代のイタリアの歌も流れれば、1970年代のイギリスの音楽も流れる。ラトビア音楽が中心の番組に周波数を合わせて聞いていると、ユーロビジョンコンテスト出場曲のような、音楽学校で基礎訓練を受けた品行方正の歌声が聞こえてきて、「もういいか」と思った。ポルトガルやスペインで楽しんだ音楽の夜はない。

 CDショップに行った。商品の3割くらいはレコードだ。店内に民族音楽風ポップスだろうと思われる音楽が流れていた。日本の五つの赤い風船のような、あるいはアイルランドコアーズのようなサウンドといえばいいか、アイリッシュとかトラッドというようなジャンルのような曲調だ。店の一角がカフェのようになっているので、そこで冷たい飲み物を注文して、店内に流れている音楽を聞いていた。そして、「この国のCDは買わなくてもいいな」という結論に達した。音楽業界には悪いが、ユーチューブで聞く程度の付き合いでいいかと思った

 店に客はほとんどいないので、40代の店主と雑談をした。

 「十代のころ聞いていたのは、どんな音楽なの?」

 「パンクさ。悪いけど、オレ、ヒッピー世代じゃないから」

 私がヒッピー世代で、ロックとともに生きてきた男と思ったようだが、全然違う。私はロック少年ではなかったが、まあ、それはいい。

 「初めて買ったレコードは?」

 「セックス・ピストルズのドイツ盤。高かったよ!」

 「リーガで売っていたの?」

 「いや、誰かが持ち込んだんだと思う」

 店主がせめて50代なら、ソビエトに支配された時代の音楽状況を肌で覚えているだろうが、解放後30年たっていると。今40代だと解放時はまだ中学生だ。

 「高いレコードを買ってさ、カセットテープにダビングして、売ったよ。儲かったね」

 少年時代から、レコード屋のまねごとをやっていたようだ。

 「ロシアの骸骨レコード(レントゲンフィルムにレコードの溝を刻んだ自家製レコード)のようなものは、ラトビアにはあったの?」

 「骸骨レコードの話は聞いたことはあるけど、現物は見たことないなあ」

 カセットテープが自由に手に入る国なら、骸骨レコードの出番はない。西ヨーロッパの音楽を聞くことの制限もなかったという。北欧のラジオ放送が流れてきたはずだから、禁止のしようがないのだ。

 そんな話をしばらくしていたら、店主はちょっと声をひそめた。

 「ほんとはね、大好きなのはパンクじゃなくて、Electronic Musicなんだ・・ドイツの・・・」

 なぜ声をひそめたのかわからない。

 「じゃあ、クラフト・ワークのような?」

 「ねえ、これ気がつかなかった?」

 店主はTシャツの胸を指差した。クラフト・ワークのレコードジャケットをプリントしたシャツだ。私が、初めて買ったレコードの話を振ったからパンクを話題にしたのだろうが、ホントはピコピコワウワウ電気サウンドが大好きらしい。

 アイスクリームをなめながら若い男がふたり、店に入ってきた。万引きしそうな、いやな予感がする。店主も同じように感じたらしく、ふたりに近づいて、何やら話している。

若い男は店を出て行き、店主は私のところに戻ってきた。

「ヒップホップを探しているなんて言ってるから、『そんなものはないよ!』と言ってやった」

 私はパンクもテクノも好きではないから、その点では店主の趣味とは合わないが、ヒップホップ嫌いということでは好みが一致する。

 この店には私が買いたくなるCDはなさそうだから、映画のDVDをチェックしてみようかと、DVD棚の方に行った。

 

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 音楽とはまったく関係ないが、カット代わりにリーガの中心地に立つ「自由の記念碑」(Brīvības自由、 piemineklis記念碑)。1918年から2年間続いた独立戦争戦没者を悼んで1935年に建てられた。ソビエト時代は近づくことが禁じられた。

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