1271話 捨てるもの 古新聞と本の山脈

 プラハ旅行記を書き終えたので、棚に詰めた本を移動させないといけない。今までは、台湾の本でもイタリアの本でも、用が終われば床に積んでいたのだが、もうそういう余裕がない。だから、まず、本棚の不要資料を処分して、そこにチェコの資料を移し、あいた空間に、次に読む順番を待っている本を入れようと企てた。

 本棚を見回して、要らない資料は、まずはタイの新聞だなと判断した。タイで長期滞在していた1990年代は、英語新聞の「ネーション」と「バンコク・ポスト」を読んでスクラップブックに貼り付けるのが、午前中の仕事だった。2000年代に入ると、それほど長い滞在はしなくなったので、保存しておきたい新聞記事は、そのページをそのまま取っておくことにした。スクラップブックを捨てる決心はまだつかないが、古新聞の束なら、今すぐ捨ててもいいか。

 本棚の一番上に詰めてある古新聞に手を伸ばすが、なかなか届かない。本棚の前に本の山脈があるから、簡単に近づけないのだ。無理な体形で手を伸ばしたら、古新聞をつかんだ手が滑り、本の山脈を直撃し、崩壊した。「そうならなきゃいいな」という悪い予感が的中してしまったのだ。最初から徹底的に整理整頓すればいいのだが、そういう決心がつかないまま、小手先の改革を始めたら、大失敗したというわけだ。

 散乱した本を積み直さないと、足の踏み場がない。本を集めていたら、『おいしい中東』(サラーム海上双葉文庫、2013)を発見した。この本は出てすぐに買ったのだが、帰宅して机の上ではなく、本の山脈に置いたのが敗因で、いままで見つからなかった。トルコの食文化を調べたいと思ったときに探したのだが、見つからなかった。買ったことは覚えていたが、「さて、どこに行った?」と思ったが、どうしても必要な本でもなかったから、買いなおすことはなかった。この文庫の奥付を確認したら2013年の発行だとわかった。ということは、6年間死蔵していたということになる。

 まとめて整理したはずのイタリア関連の本も出てきた。『ジーノの家』(内田洋子)、『天使と悪魔のイタリア』(タカコ・半沢・メロジー)、『ローマのおさんぽ』(Studio Yuccino)などは、イタリアの山に移す。

 『オリガ・モリソヴナの反語法』(米原万里集英社、2002)のハードカバー版が出てきた。数年前に見かけた記憶がある。今回、プラハが出てくるので再読したいと思ったのだが見つからない。行方不明本を探すのが面倒で、文庫版をアマゾンしたのだった。そのほか、未読本、再読したい本など何冊か見つかり、新山を作った。

 足元を少し片づけて、古新聞を取り出した。タイの新聞はひと束10キロほどになり、翌日トイレットペーパー2個に変わった。タイの雑誌も一気に捨てることにした。音楽や映画の特集などがあるから買ったのだが、今回は内容を見ずに捨てた。捨てる決心をしたら、雑誌の紙面を読んではいけない。これで、また10キロ。経済誌「マネージャー」も全部捨てた。タイの国家としての経済には興味がないが、飲食業界とか都市計画とか交通行政や交通業界などの記事を読むために買っていたのだ。さらに、バンコク国立博物館が発行している冊子も捨てた。タイの伝統文化などに関する資料で、厚い紙だから重い。これで、また10キロ。合計30キロ分処分しても、本棚がガラガラになったようには見えない。タイに長期滞在していたころ、毎年50から60キロほどの資料を船便で日本に送っていた。ほとんどは本など紙資料だが、20キロくらいは音楽カセットテープだ。

 今回は捨てられなかったのが、アジア映画関連の資料だ。その昔、国際交流基金のアセアン文化センターが東南アジアの映画祭をやっていて、のちに南アジアの映画も取り上げるようになった。私はどこの国の映画であれ見に行っていたが、私のように国を限定しない映画ファンはそれほど多くはなく、よく出会ったのは松岡環さん他数名だった。そういう映画祭のパンフレット類は多分、どこかの図書館にあるはずだ。私が持っている必要はないだろうが、今はまだ捨てる気になれなかった。

 もうひとブロック、捨てられなかったのは“sawaddi”という雑誌の束だ。The American Women’s Club of Thailandという団体が発行している隔月刊誌だ。バンコクの古本屋でその1冊を見つけ、本部に行ってバックナンバーを買い集めた。

 内容は、日本の国立民族学博物館が発行している冊子レベルで、タイの文化や歴史に関するこまごまとしたことが書いてある。タイの鉄道とドイツ人技術者の話や、市場図鑑など読みでがあった。だから、今回は捨てない。