1270話 プラハ 風がハープを奏でるように 79回

 最終回 幸福な時

 

 ブログの旅も、今回で終わる。

 チェコを旅したのは2018年の9月から10月のひと月ほどで、プラハの旅物語第1回は11月1日の公開だった。20回くらいで終わろうと思っていたが、予定に反して80回近く書くことになってしまった。この半年ほどプラハに関する文章を書き続けてきたことになる。79回の連載は、単行本1冊くらいの原稿量になる。それだけ書きたいことがあり、書くのが楽しかったから、ついつい長くなってしまったのだ。買い集めた資料は段ボール箱ふたつくらいになった。私にとって旅の楽しさは、まず準備段階があり、実際に旅しているときはもちろんなのだが、旅を終えてからの反芻している行程(工程)もまた、楽しみである。散歩をしているときにはまったく気がつかなかったことを資料で読み、「あ~、そうだったのか!」と気がつく瞬間は快感である。私は、旅を3度楽しむ。

 

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 プラハに夜遅く着き、翌朝の宿の朝飯が、プラハ最初の食事だった。

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 そして、別の宿で食べたこの朝飯がプラハ最後の食事となった。この食事をして、空港に向かった。1階がレストランの安宿だから、インテリアと朝飯は分不相応に豪華だった。

 

 チェコ関連の本はかなり読んだが、カフカクンデラなど文学はほとんど手を出していない。日本人が書いたもので、チェコが登場するとわかっていて手を出さなかったのは、五木寛之大宅壮一の本だ。参考にはならないとわかっていたが、開高健『過去と未来の国々』を再読した。堀田善衛『天上大風』は初めて読んだ。19世紀のチェコ人の日本旅行記『ジャポスコ』(ヨゼフ・コジェンスキー)のことは、いずれゆっくり書く機会があるかもしれない。昔のプラハを見たくて、『世界の旅 東ヨーロッパ』(河出書房、1969)や『文化誌 世界の国 東欧』(講談社、1975)といった重い本も買ったが、参考になる写真はほとんどなかった。昔のプラハがわかる本は、プラハの書店にいくらでもあったのだが、高くて飛び切り重いので、買う気がしなかった。

 左能典代の『プラハの憂鬱』は、その題名にも関わらず、プラハは40ページ分くらいしか出てこない。佐藤優の同名書には、プラハはまったく出てこないが、高校時代の海外旅行記『十五の夏』には、1975年のプラハがほんの少し登場する。そういう本も読んだ。

 米原万里の本はチェコ旅行のずっと前に、すでに全巻読んでいるが、この機会に再読した。「チェコ」を視点に据えると新しく見えてきたものもあった。つい最近、このプラハ物語がいよいよ最終章に入るところで、『加藤周一米原万里と行くチェコの旅』(小森陽一金平茂紀辛淑玉かもがわ出版、2019)が出たことを知って、内容を確認するヒマもなくすぐさま購入。で、読んだ。久しぶりの「カネ返せ本」だった。プラハ時代の米原の話は、小森がすでに『コモリ君ニホン語に出会う』に出てきた話だけで、わざわざ買う価値のない本だった。ただ、この本で加藤周一『言葉と戦車を見すえて』を知り、読んだ。このブログでチェコの話を書く前に読んでいれば参考になったかもしれないが、今となっては参考になったことはそれほどない。1979年のチェコは、短い文章だが玉村豊男の『東欧・旅の雑学ノート』にある。この本も、1985年の海田書房版『ぼくの旅のかたち』ですでに読んでいるが、その本をウチで探すのが面倒で、中公文庫版を「アマゾン」した。1979年のチェコの物価は、日本円にすれば現在とあまり変わらないということもわかる。細かいメモが役に立つ。資料的価値のある本は、本文ですでに紹介した。

 こういう具合に、「週3アマゾン」となったせいで、次々と本が届き片っ端から読んだ。内容もレベルもわからずにネットで注文するから、3割くらいはどーにもならない本でがっかりしたが、しかたがない。そういう残念な経験もしたが、普段はまったく手にしない本に出会い、鉛筆で傍線を引き、書き込みをして、付箋を貼った。そういう時間を過ごし、すでに書いてある文章を加筆訂正してブログにアップした。そういう楽しい日々が、今、終わった。もうチェコの本を読むことはないだろう。

 インターネットでプラハ関連の旅行記事を読んでいたら、「プラハは、ワルシャワからウィーンに行く途中に2日ほど滞在するのが通常の旅程で・・・」と書いてあり、「そうか、ほとんどの日本人にとって、プラハは通常2日の価値か」。忙しい人はそうなのだろうが、暇な私は、ひと月いた。それでもまったく飽きなかった。半年資料を読み続けても、チェコに飽きなかった。そういう魅力的な街に出会えたことを幸せに思う。ビールを飲まず、買い物もせず、美術館にはほとんど行かず、コンサートに行かなくても、プラハの散歩はただただ楽しかった。散歩の魅力に満ちた街だった。

 旅先で出会った私と同年代のオーストラリア人夫婦と食事をしたときに、こんな話になった。

 「私たち、今とっても素晴らしい時間を生きているの。面倒をみないといけない人はもういないし、誰かに面倒をみてもらう必要なまだない。ぜいたくをしなければ、こうしてのんびり旅行ができるくらいのお金はある。だけど、こういう幸せな時間はそう長くは続かないのよね。だから、今、旅をしているのよ、ふたりで」

 私もまた、今、そういう幸せな時間のなかにいる、と応えた。

 プラハにいたひと月、風が、心のハープを奏でていた。琴線が震え続けていた。

 この半年、ずっとプラハの夢を見ていたようだ。

 

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