1891話 言葉は実におもしろい。地道に勉強する気はないけれど・・・ その2

 

地道な努力 上

 『語学の天才まで1億光年』を書いた高野秀行さんは、こう書く。「私は幼少の頃から地道な努力が心底苦手であった(今もそうである)。動詞の活用とか単語のスペリングの暗記と言った単純な作業がどうしてもできない」(P12)。

 これを「ウソ」と言ったゴヘイがあるだろうから、「大いなる謙遜」と言っておこう。「自分の記憶力や集中力はすごいんだ」などと書いたら、読者がついて来ない。だから、「みなさんもそうでしょ? 外国語学習ってとってもたいへんなんですよね」と語りかけているのだ。だから、そんな謙遜を信じてはいけない。コツコツ地道に覚えないで、何十もの言語の活用や単語が覚えられるわけがない。「地道な努力なしに何十もの言語を覚えた」と言うなら、高野さんこそ「語学の天才」ではないか。おそらくは、「自分は地道に努力している」という自覚がないのだろうと思う。角幡唯介さんとの対談集『地図のない場所で眠りたい』講談社文庫、2016)のなかで、高野さんは自分を「俺は言語オタクなんだよ」と語っている。例えば、鉄道オタクのなかには、駅名や路線名やその他モロモロの情報を暗記している人がいるが、彼らは地道に努力して覚えたという自覚のないまま、覚えたのだ。好きだから、覚えてしまったということなのだろ。高野さんの外国語学習も同じなのだろう。努力の自覚なき努力である。ちなみに、『地図のない場所で眠りたい』の「俺は言語オタクなんだよ」の章は、旅と言語の参考資料にもなる。

 私は、高野さんと違って、タイ語の勉強もほとんどしなかった。単語をひとつひとつ地道に覚えていくような努力をしてない。私は謙遜をするような人間ではないから、これは事実である。「地道な努力」というのは、私にもっとも似合わない行動だ。小中学生時代を通して、通知表に「飽きっぽい。根気がない」とあった。それが教師の評価だ。もうひとつ、いつも書いてあった私の性格は、「協調性に欠ける」だった。

 タイ語の勉強はほとんどしなかったが、英語との付き合いは深かった。言葉を覚えるよりも、情報を得たかったからだ。1年じっくりタイ語を学んでも、当時の英語の読解力を超えることはないと思った。ナイロビにいたときに、スワヒリ語を熱心に学ばなかった理由も同じだ。カタコトのスワヒリ語会話を覚えるよりも、英語で深い話を聞き出した方がいいし、アフリカに関する英語の本を読んだ方がいいというのが表向きの判断だが、もちろん「地道な努力などしたくない」というサボる理屈でもある。

 タイでも同じだった。

 バンコクの朝は、英語新聞「ザ・ネーション」と「バンコク・ポスト」の2紙を読みながらコーヒーを飲む。おもしろい記事がなければ10分か20分で読み終わるが、読みでのある記事があれば、30分ほど新聞に集中する。1ページか2ページに及ぶ特集記事があると、夜の楽しみに取っておいて外出する。

 昼は、本屋などを巡って資料となる印刷物を求め、夕食後にじっくり読む。100年以上前にフランス人が書いたタイ滞在記が英語に翻訳されたものや、タイの職人仕事の本など、カセットテープでタイ音楽聞きながら、毎夜英語の文章を読みながら過ごした。

 英語が得意というわけではまったくない。謙遜ではなく、事実だ。中学時代から地道に勉強をしてこなかったから、文法がよくわかっていないし語彙も少ない。中学高校を通じて「英語の成績がよかった」という時代など1度もなかった。中学では「そこそこ」だったが、受験教育一辺倒の高校では、「それはもう、とんでもなくひどい成績だった」と自信を持って言える。

 そういう英語力でも、タイで毎日英語の文章とつきあっていたのは、タイ語の本が読めないからだ。日本語の資料はあらかた読んでしまったから、あとは英語の資料を探すしかない。それは、「地道に努力した日々」ではなく、新聞や本や雑誌が、知りたいことを教えてくれる毎日だった。英語の勉強のために「1日5時間は英語の文章を読む」などと決めていたわけではない。英語は目的ではなく、単なる手段だ。新聞を読んで、情報を仕入れ、スクラップブックに貼り付けていくのが楽しかったのだ。それは私にとって、「地道な努力」ではなく、ただの娯楽だった。