1892話 言葉は実におもしろい。地道に勉強する気はないけれど・・・ その3

 

地道な努力 下

 バンコクで毎日英語の資料を読んでいたが、英語力が向上したとは到底思えない。英語を勉強するために英語の文章を読んでいたわけではないからだ。英語の「長文読解」をやっていたわけではない。

 私が読んでいたのはおもに新聞記事だ。その多くは、タイ人記者が英語で書いた文章だ。新聞記事だから、口語、俗語、卑語、罵倒語、あるいは雅語や古語などは出てこない。背景を匂わす文学的表現もほとんどない。英語をまじめに勉強してこなかった私にでも、なんとか読める文章が多かった。

 英語の勉強の長文読解なら、わからない単語をノートに書き出し、成句も調べるのだろうが、そんなことをしていたら、読む気が失せる。知っている単語が少ないくせに、辞書はあまりひかない。知らない単語の森を抜けながら文章を読んでいると、この単語の意味がわからないと、文章全体の意味がつかめないというキーワードに出会うことがあり、そいうときは辞書を引く。

 そういう読書生活をしていたから、語彙が増えたとは思えない。会話でよく使う表現も、覚えない。英語の資料を読む目的が、タイに関する情報を集めることだから、「ここは要らない」と思う部分は読み飛ばす。小説を読んでいるわけではないから、「全体をじっくり読んで作者の心を探る」などということとは無縁だ。

 タイ人が書いた文章は読みやすいのだが、アメリカ人コラムニストの連載記事には手を焼いた。おもしろいのだが、文意を読み取れないこともしばしばあった。ベトナム戦争の取材でタイに来て、そのまま居ついたアメリカ人、バーナード・トィンクの”Night Owl”(宵っ張り)というコラムが、バンコクポストに毎週載っていた。簡単に言えば、「盛り場話」なのだが、情報を伝える内容ではない。短文を集めた構成で、盛り場話に日々雑話が混じる。例えば、こういうコラムだ。

 「パッポンのホステスたちが、『来週から店を休むわ』という。何人もがそういうので、『なぜ?』 と聞いたら、『だって、田植えの時期じゃない』だって」

 日々雑話では、バンコクをジャガイモを求めて歩いたという話がよく出ていた。1990年代は、バンコクでいつでも好きなだけジャガイモは手に入らなかったのだ。

 読んですぐにわかるコラムがあればうれしいが、皮肉や老獪、有名な詩などの引用があると、私の手に負えない。このコラムだけはよく辞書を引いたが、結局わからなかったということも少なくない。

 新聞記事を読んでいて、気になる語句はあった。単語そのものはなじみがあるが、意味がわからないというような言い回しだ。例えば、政治家が殺し屋に撃たれたといった新聞記事などで、よく見る表現が、「撃った男は”at large”」というもので、調べたら「逃走中」だとわかる。トラックやバスなどの事故があると、運転手はその責任を問われるのを避けるため、よく逃げる。だから、この言い回しは新聞でよく見るのだ。というわけで、タイのキーワードが見つかる。

 タイ生活を終えて、通年日本で暮らすようになると、よほどおもしろそうな本でなければ、英語の本など読む気はなくなったが、トイレ関連書だけは古本を取り寄せて読んでいたが、今ではそれも面倒になった。「知りたい!」という意欲がなくなると、不自由な外国語の本など読む気がなくなるのだ。

 恐ろしいのは、記憶力が減退することではなく、好奇心がなくなっていくことだ。