2058話 続・経年変化 その24

音楽 24 クレージーキャッツ 2

 旅行と映画と本のことしか考えていない日々を送っていて、突然クレージーキャッツが頭に入り込んできた。

 「スーダラ節」がラジオから流れていた1961年から、小学生の私の耳にも彼らの歌が流れ込んできた。「五万節」、「ハイそれまでヨ」、「これが男の生きる道」などことごとく耳に入ってきたが、歌の内容を深く意識するようになるのは、20代になってからだ。悪夢の高校生活を終え、毎日を楽しく暮らすようになってからだ。

 例えば、「ホンダラ行進曲」(1963)

 青島幸男の、想像を絶するナンセンス歌詞。人生なんて、「どうせどこでもホンダラダホイホイ」なのだ

 もう1曲。これが最高。「だまって俺について来い」(1964)人を食った萩原哲晶(はぎわら・ひろあき)の作編曲も絶妙。

 「そのうちなんとかなるだろう」が、フリーランスの合言葉だ。組織に守られて生きる道を拒否し、だから組織の犠牲になる生き方も回避して、経済的にも肉体的にもつらくても、精神的には気楽な生き方を選んだ者たちの歌だ。成り上がろうという強い意思のある若者もいただろうが、私は何も考えていなかった。毎日楽しければいいと考えていた。一時コック見習いをやったが、それを生涯の仕事にするといった決意も覚悟も希望もなかった。料理は楽しい。それだけだ。そして、「旅をしたい」といつも考えていた。

 今ではこういう歌詞は書けないだろうが、昔はそれほど不合理ではなかった。高度経済成長の時代だからだ。『値段の明治大正昭和風俗史』(朝日新聞社)から、銀行員の初任給の推移を書き出す。金額の推移に注目してほしい。参考まで書いておくとここ十数年は、数パーセント程度の上昇に過ぎない。

1960年 15000円

1963年 21000円

1965年 25000円

1968年 30500円

1970年 39000円

1971年 45000円

1972年 52000円

1973年 60000円

1974年 74000円

1975年 85000円

 これは初任給の額であって、サラリーマンの平均月給ではないから、月給が数年で倍にはならないだろうが、65年の初任給25000円が10年後には3倍以上の85000円である。現在に置き換えれば、2010年の初任給20万円が、2020年に60万円になっているようなものだ。現実に、そういう時代が、かつてあったのだ。

 今はまだ高くて買えないものも、すぐに買えるようになるという夢があった。今は苦しくても「そのうちなんとかなるだろう」というのが、1960~70年代の日本の気分だったのだ。私は数年かけて貯めたカネを使って、1973年に初めて外国に行った。それが我が生涯最初でたぶん最後の海外旅行になるだろうと覚悟していたのだが、帰国して働き、74年にも75年にも海外旅行をした。海外旅行なんて、一度行けば簡単だとわかった。クレージー・キャッツ、あるいは青島幸男の信奉者ではまったくないが、甘い人生を教えてくれた歌だったとは思う。10年後どころか、2年後何をしているかなんてまったく考えていなかったが、能天気に生きているうちに、いつの間にかなんとかなったのである、あのころは。

 経年変化音楽編はこれにて終了。ちょっと準備をして、次からは読書の経年変化の話をする予定。