2033話 旅の郵便

 

 旅行者の多くがカメラを持っているのが普通になったのは、いつごろからだろうか。

 かつてカメラは非常に高価な商品で、1959年に36枚撮りフィルムで72枚撮影できるハーフサイズカメラが登場した。オリンパスペンの定価は6800円で、「安くなった」と評判だったが、若いサラリーマンの月給とそれほど変わりはなかった。それまでのカメラよりは安いという意味だった。旅行者の多くがカメラを手にするようになったのは、小西六写真工学が売り出した世界初のオートフォーカスカメラ「コニカC35AF」(通称ジャスピンコニカ)からだろうか。1977年のことだ。シャッターを押すだけで誰でも撮れるというカメラの誕生だが、定価は4万4800円。高卒銀行員の初任給が7万円くらいだった時代だ。

 カメラを持って旅行する習慣がなかった私とは無縁の行為だが、友人知人たちの話では、旅行後に写真を見せながらの宴会、つまり写真付き旅行報告会のようなものをやったという話を聞いたことがある。あるいは、団体旅行をして親しくなった人たちが旅行後に集まって親睦の会を開いた席で、それぞれが撮影した数十枚あるいは百枚を超える写真を持ち寄り頒布会を開いたという話も聞いた。フィルム1本36枚撮りだから、1日1本で5日間、計5本撮影しただけでも、180枚になる。ハーフサイズなら360枚だ。友人たちの分を焼き増しするとその費用はけっこうな額になったはずだ。今、なにげなく使った「焼き増し」というのは、ほぼ死語になったと気がついた。

 旅行者が自分で撮影をするようになっても、絵はがきは旅の重要なアイテムで、フィルム式からデジタルカメラの時代になっても、絵はがき販売が大幅に落ち込んだとは思えない。絵はがき販売が大きく変化したのはスマホの誕生で、画像と文章を無料か極めて安い費用で、世界のどこへでも気楽に送ることができる。わざわざ昼間に郵便局に行く必要がなくなった。絵はがきも切手も買う必要がない。

 だが、絵はがきはまだ消えていない。日本国内の事情は知らないが、今外国の観光地に行っても、土産物屋で絵はがきを見かける。売り上げが大幅に減っただろうが、まだ置いてある。私は年賀状は出さないが、旅先からの絵はがきは何通か出す。多めに買って、日本でハガキとして使う。絵はがき業者も工夫して、画家シリーズとか「100年前の写真」シリーズなど、旅行者が簡単に撮影できない画像を絵はがきにして販売している。

 もう無くなった、アレ、なんだっけ?と記憶を呼び起こそうとしたが名前が浮かんでこない。絵はがきよりももっと文章を書きたいときの、アレを思い出せないから、ネットでいろいろ検索して、やっと思い出した。アエログラムだ。日本名は航空書簡で、その語は知っているが使ったことがない。全世界統一料金の郵便物だ。郵便局で売っている1枚の紙に文章を書き、二つ折りにして、3方を糊づけする。その紙に宛名を書けば、封書のように送ることができる。ハガキよりは高いが封書よりは安いという郵便だ。日本では1949年から販売を始めたというから、在日米軍関係者と深い関係がありそうだ。私がよく使ったのは1980年代までで、90年代に入ると東南アジアで過ごすことが多くなり、もっぱら絵ハガキを使っていた。日本でのアエログラム取り扱いは、2023年9月で終了した。いまは、ネットで画像検索をしても、あまりヒットしない、そういう時代になったのだ。アエログラム使用体験者は50代以上か。

 私がアメリカン・エキスプレスのトラベラーズ・チェック(TC。旅行用小切手)を使い続けた理由は、もちろん所持金の安全を考えてのことではあるが、もうひとつクライアントメール(Client Mail)のサービスがあったからだ。世界各地のアメックス支店気付で手紙を送ってもらえれば、旅行中に支店でその手紙を受け取れるというシステムで、クライアント(顧客)であるという証明が、アメックスのTCだ。今、「クライアント・メール」を検索すると、私とはまったく無縁のデジタル情報が出てきた。TCとともに、このシステムもとっくに廃止されただろう。

 移動を続ける旅行者が郵便物を受け取るには、日本大使館気付というのと、郵便局局留めというのがあった。郵便物の安全性を考えると大使館気付がいいのだろうが、スマホの登場でこの手段は無くなったのではないか。郵便局局留めは、小包の受け取りはまだ現役かもしれない。書簡の受け取りは無料だが、小包の場合は国によって法外と呼びたくなるほどの税金を課せられる場合もあり、日本から送られてきた品々と税金をはかりにかける悲喜交々(ひきこもごも)である。ナイロビで、保管料と税金などを合わせて5000円か1万円ほど要求された旅行者が、「母親が送ってくれたラーメンを受け取るべきか・・・」と悩んでいる姿を見ている。

 一方、旅先から日本に荷物を送るとなると、船便でさえ私には我慢できなほど高額だ。私が送ろうとするのは本かCDで、いつも10キロを軽く超えるほど重く、料金を聞いただけで郵送を断念し、持ち歩くことになってしまう。持ち歩くのはもちろん苦痛だが、それくらい重いと送料がとんでもなく高くなる。だから、買い物なんかしたくないのだが、本とCD(とDVD)だけはしかたがない。