1577話 カラスの十代 その10

 

 あのころ、はっきりと意識していたわけではないが、将来の理想的な生活というものがあやふやながら見えていた。毎日本を読み、東京を散歩して、古本屋と映画館を巡り、気にいった喫茶店でひと休みする。そして、ときどき旅に出られれば、それが理想的な生活であった。相変わらず、どうやって金を稼ぐかということは考えていなかった。サラリーマンでなければいい。効率よく稼げるなら、どんな仕事でもよかった。仕事をしている組織の知名度などよりも、仕事で得られるカネでどう遊ぶかが重要だから、有名企業に就職しようなどとはいっさい考えなかった。そのころ描いた理想的な生活は、のちにさしたる苦労もなく簡単に現実のものとなり、以後、今日まで本と映画と旅の生活をしてきた。50歳を過ぎてから、CDバカ買い生活が加わり、東京散歩はなくなった。バブル以降の東京があまりおもしろくなくなったからであり、早く自宅に戻って夕食の準備をしたいから、用が終わればさっさと帰りたくなる。

 高校に入って、毎日のように図書室に通い、本を借りた。小説以外のあらゆるジャンルの本を読んだ。理系の本も少しは読んだ。図書室でよく会う友人は、日本と外国の名作文学全集を片っ端から読んでいた。そういう高校生は当時でももはや時代遅れで、比較的本を読むまわりの高校生は、北杜夫やエラリー・クインや松本清張三島由紀夫五木寛之などを読んでいるようだったが、よくは知らない。受験に用のない本は読まない生徒と、読んだ本のことは誰にも話したく生徒の両方がいて、あのころの他人の読書傾向はわからない。まあ、大勢は、「世界と日本の名作文学」だろうと思う。一部は、吉本隆明埴谷雄高倉橋由美子やもしかすると「共産党宣言」や「資本論」に手を出しているヤツもいたかもしれない。

 外国体験モノは、おもに神保町の古本屋で買った。小学生高学年から「図書購入台帳」をつけているから、いつどういう本を買ったか、すぐにわかる。高校入学から夏休みまでに買って読んだ本の一部は次のようなものだ。このころも今も、「教養を高めるための読書」とか「読んだとか、持っていると他人に自慢したい読書」などとはいっさい無縁だった。本でも映画でも音楽でも、背伸びする気はまったくなかった。

『アデウスにっぽん―若さとバカさの挑戦』(大槻 洋志郎, 本間 久靖、本田書房、1966)

『世界でいちばん寒い国』(岡田安彦、講談社、1966)

『サンドイッチ・ハイスクール』(植山周一郎、学習研究社、1966)

カラハリ砂漠』(木村重信講談社、1966)

『モゴール族探検記』(梅棹忠夫岩波新書、1956)

『海外旅行ABC』(三上操、現代教養文庫、1961)

『海外旅行入門』(ビル・ハーシー、集英社、1967)

『正続 南ベトナム戦争従軍記』(岡村昭彦、岩波新書、1965・66)

『ヨーロッパの味』(辻静雄、カラーブックス、1965)

ソ連・なんでも聞いてみよう』(ノーボスチ通信社、新興出版社、1965)

『世界の旅』(阿川弘之中央公論社、1961)

『裸足の王国』(福本昭子・松本真理子、光文社、1960)

『外国拝見』(門田勲、朝日新聞社、1962)

『ふうらい坊留学記』(ミッキー安川、光文社、1960)

『海外特派員』(青木正久、角川新書、1959)

 このまま書き出すときりがないが、高校1年生の夏以降読んだ本は、本多勝一今西錦司加藤九祚などの著作が続く。高校2年生の時に、書店で取り寄せて買った『食生活を探検する』(石毛直道文藝春秋、1969)は、その後の人生を決定することになる。意識していたわけでは当然ないが、石毛さんの本をはじめ、のちに国立民族学博物館に関係する人たちの著作を熱心に読んでいたのだと、のちに気づく。こういう本を次から次へと読みながら、「外国を自分の目で見たいなあ」と思う高校生だった。 

上に書いたリストは中学時代に買った本を間違えて書いたものだ。私の高校入学は1968年4月だから、時代が違った。あえて、誤記のままにして、正確な情報は、1616話以降に書くことにする。